あれよあれよとまたしても一週間が過ぎてしまいました。
こちら伊勢湾沿岸も海を見渡せば、一面に海苔養殖の網を留める杭(海苔そだと言います)が水面に突き出し、この地方ならではの「冬の風景」が広がっております。
ここ数日は、気温は低いものの穏やかな日和が続き、よく凪いだ水面を夕陽のオレンジ色が一面に染め上げる本当に素晴らしい景色を見ることが出来ました。
まるでシルクの布地のようなそのしなやかな色彩美は、思わず息を呑む光景であります。
そんな情景に出くわしながらも、僅か10分、足を止めエプ子さんを構える時間が無いという日々に我ながら本当に悔しい思いをしている今日この頃であります。
さて、そんな・こんなであけ暮れた一週間でしたが、この週末は家で「大工仕事」に勤しんでおりました。
昨年、台風18号の直撃を受けた我が知多半島。
凄まじい暴風雨に見舞われ、あちこちに大きな爪痕を残しました。
その猛威には我が家にも無事では済まされず、屋敷のあちらこちらが痛んでしまいました。
補修しながらあちこちを点検しておりましたところ、築30年を過ぎた屋敷のあちらこちらがかなり老朽化していることが解りました。
その、中でも家の外壁を覆う「板囲い」の杉板が長い間の風雪に耐えながらもかなり痛んでボロボロとなっていることが解ったのでした。
そこで、我が父と二人で「板囲い」の修理に取りかかったのです。
今は引退して楽隠居を決め込んでおりますが、父はれっきとした大工の棟梁でありました。
この屋敷も父が自ら建てたものであり、その構造や設計は隅々まで把握しております。
その父と二人で仕事に取り掛かったのであります。
ところで、何を隠そう高い所がからきし駄目な僕であります。
大工にとって、高所恐怖症は、まさに「致命的欠陥」。
これがなければ父親のあとを継いでいたかもしれませんが、屋根に上がって足がすくむようではどうにもなりません。
かたやわが父、先月79歳の誕生日を迎えたにもかかわらず、いまだに幅30cmほどの足場板をスイスイとわたる事が出来ます。
というわけで、今回も高いところは父の担当。
板囲いを外し、ゆっくりと地面に下ろしたところ、板はすっかり風化しており、指で軽く圧しただけで脆くも崩れてしまう有様。想像以上に朽ち果てておりました。
この現状に30年の風雪の凄さを改めて知った僕でありました。
外枠を残して朽ちた板を剥がします。
そして新しい板を外枠の寸法に合わせて加工し、それを打ち付けていきます。
長さをそろえるだけならば僕でも出来そうですが、板の面取りや庇へのはめ込み部分の細工などは、到底僕には出来ない技です。
大工の職人芸の素晴らしさをあらためて実感した僕であります。
てなわけでここでもメインの仕事は父の担当。
大工の腕の無い僕は、父が加工した板をひたすら釘で打ち付けるだけの係りでありました。(家の息子でも出来る簡単な仕事です)
はい。「二人で」と申しましたが、実は、大工仕事に勤しんだのは父のほうで、僕は「大工の小僧」としてお手伝いをしていたというのが実態でありました。
いやはや、「79歳の親方と47歳の小僧っこ」というコンビの誕生でありました。
土日の二日間をかけてどうにか新しい板に張替えをしましたが、日没の早いこの季節、取り付けるまでには至りませんでした。
来週は、年内最後の週末で、すでに様々な用事を入れておりますが、まずは囲いの取り付けが最優先としなければ正月が越せない我が家であります。
こんなまだまだ元気で身軽な父ですが、今月はじめ体調に変調をきたし、検査のため一週間ほど入院いたしました。
その結果、身体に癌が見つかり、またその癌はリンパ腺にも転移している事も判りました。
父の症状については、幸いにも進行の遅いタイプの癌という事で、これからは月に2度程度の通院により注射と投薬で治療する事が決まりました。
今後、治療とケアをしていく事になるのですが、何より心強いのは、家内が医療の専門家であり、しかも老人医療の実務に従事するスペシャリストであること。
亡き母が発病した時ものときも家内によって病院とのスムーズなコミュニケーションが実現し本当に助けられましたが、また今回も家内の助けが本当に心強い僕たち兄弟なのであります。
この父の検査結果も家内が正確に理解し症状を把握したうえで、その治療法が適切である事を伝えてくれたからこそ僕たちも安心していられるのであります。
あらためて家内に心から感謝する僕であります。
まだまだ親の凄さを知ったとともに「これから」を思う週末の僕でありました。
こちら伊勢湾沿岸も海を見渡せば、一面に海苔養殖の網を留める杭(海苔そだと言います)が水面に突き出し、この地方ならではの「冬の風景」が広がっております。
ここ数日は、気温は低いものの穏やかな日和が続き、よく凪いだ水面を夕陽のオレンジ色が一面に染め上げる本当に素晴らしい景色を見ることが出来ました。
まるでシルクの布地のようなそのしなやかな色彩美は、思わず息を呑む光景であります。
そんな情景に出くわしながらも、僅か10分、足を止めエプ子さんを構える時間が無いという日々に我ながら本当に悔しい思いをしている今日この頃であります。
さて、そんな・こんなであけ暮れた一週間でしたが、この週末は家で「大工仕事」に勤しんでおりました。
昨年、台風18号の直撃を受けた我が知多半島。
凄まじい暴風雨に見舞われ、あちこちに大きな爪痕を残しました。
その猛威には我が家にも無事では済まされず、屋敷のあちらこちらが痛んでしまいました。
補修しながらあちこちを点検しておりましたところ、築30年を過ぎた屋敷のあちらこちらがかなり老朽化していることが解りました。
その、中でも家の外壁を覆う「板囲い」の杉板が長い間の風雪に耐えながらもかなり痛んでボロボロとなっていることが解ったのでした。
そこで、我が父と二人で「板囲い」の修理に取りかかったのです。
今は引退して楽隠居を決め込んでおりますが、父はれっきとした大工の棟梁でありました。
この屋敷も父が自ら建てたものであり、その構造や設計は隅々まで把握しております。
その父と二人で仕事に取り掛かったのであります。
ところで、何を隠そう高い所がからきし駄目な僕であります。
大工にとって、高所恐怖症は、まさに「致命的欠陥」。
これがなければ父親のあとを継いでいたかもしれませんが、屋根に上がって足がすくむようではどうにもなりません。
かたやわが父、先月79歳の誕生日を迎えたにもかかわらず、いまだに幅30cmほどの足場板をスイスイとわたる事が出来ます。
というわけで、今回も高いところは父の担当。
板囲いを外し、ゆっくりと地面に下ろしたところ、板はすっかり風化しており、指で軽く圧しただけで脆くも崩れてしまう有様。想像以上に朽ち果てておりました。
この現状に30年の風雪の凄さを改めて知った僕でありました。
外枠を残して朽ちた板を剥がします。
そして新しい板を外枠の寸法に合わせて加工し、それを打ち付けていきます。
長さをそろえるだけならば僕でも出来そうですが、板の面取りや庇へのはめ込み部分の細工などは、到底僕には出来ない技です。
大工の職人芸の素晴らしさをあらためて実感した僕であります。
てなわけでここでもメインの仕事は父の担当。
大工の腕の無い僕は、父が加工した板をひたすら釘で打ち付けるだけの係りでありました。(家の息子でも出来る簡単な仕事です)
はい。「二人で」と申しましたが、実は、大工仕事に勤しんだのは父のほうで、僕は「大工の小僧」としてお手伝いをしていたというのが実態でありました。
いやはや、「79歳の親方と47歳の小僧っこ」というコンビの誕生でありました。
土日の二日間をかけてどうにか新しい板に張替えをしましたが、日没の早いこの季節、取り付けるまでには至りませんでした。
来週は、年内最後の週末で、すでに様々な用事を入れておりますが、まずは囲いの取り付けが最優先としなければ正月が越せない我が家であります。
こんなまだまだ元気で身軽な父ですが、今月はじめ体調に変調をきたし、検査のため一週間ほど入院いたしました。
その結果、身体に癌が見つかり、またその癌はリンパ腺にも転移している事も判りました。
父の症状については、幸いにも進行の遅いタイプの癌という事で、これからは月に2度程度の通院により注射と投薬で治療する事が決まりました。
今後、治療とケアをしていく事になるのですが、何より心強いのは、家内が医療の専門家であり、しかも老人医療の実務に従事するスペシャリストであること。
亡き母が発病した時ものときも家内によって病院とのスムーズなコミュニケーションが実現し本当に助けられましたが、また今回も家内の助けが本当に心強い僕たち兄弟なのであります。
この父の検査結果も家内が正確に理解し症状を把握したうえで、その治療法が適切である事を伝えてくれたからこそ僕たちも安心していられるのであります。
あらためて家内に心から感謝する僕であります。
まだまだ親の凄さを知ったとともに「これから」を思う週末の僕でありました。