日本男児たるもの供された食べ物あるいは料理に対しては、作ってくださった方への感謝の念をもっていただくのが本分であり、「美味い・」だの「不味い」などと言うのは「男の美学に反する」というのが僕の持論です。


そんな僕ですが、実はこのところいささか「気になっている事」がありました。

そして先日来、その気になっている事に連続して出くわすこととなったのす。

気がかりなことに連続して出くわしたことから、どうやら、僕の気がかりは現在において「主流の風潮」となったのではないかと思い至ったのであります。

というわけで、あえて記事にさせていただき、この「気がかり」に対する僕の思いを表しておくことにいたしました。



さて、その「気がかり」とは、「スパゲティの茹で加減」についてであります。



元来麺類が大好きな民族である日本人は、うどんやラーメンは言うの及ばず、スパゲッティをはじめとしたパスタも古くから定着し、誰もがこよなく愛している食材のひとつです。


すっかり日本人の食生活に定着したこともあって「お手軽な家庭料理」という地位を得てきました。

あまりに深く浸透した結果からでしょうか、つい先ごろまで「茹で方」にあまり意識を払うことなく時代が過ぎてきました。

そんな時代を経てきたスパゲティの世界で「アルデンテ」という言葉がいつの頃からか言われる様になりました。


僕が初めてこの言葉を知ったのは、中学生の頃でしょうか。

コミック「ミスター味っ子」のなかで出てきたのが最初だと思います。

その当時、この「アルデンテ」という言葉は、まだまだ新しい言葉でしたが、今では、日常でも良く見かける日本人にも馴染み深い言葉として定着しているとおもうのです。



さて、前置きが長くなりましたが、この「アルデンテ」、さまざまな料理の本などを紐解くと大体共通して書かれているのが



中心にわずかに芯が残った状態



という内容の言葉。


では、この「芯が残った状態」というのは、いかなる「茹で加減」を指しているのか?

僕の記憶では、この「アルデンテ」と言葉が使われ始めた頃の解説では、「スパゲティの中心に髪の毛一本分ぐらいの芯が残った状態」を指していたと思います。

古来より海外の文化を謙虚に学び、それを吸収し、更に研鑽を重ねることで自分達の文化として定着させる事を得意としてきた日本人は、この「アルデンテ」においても見事に、「スパゲティの中心に髪の毛一本分ぐらいの芯が残った状態」を作る技を身に付け、そのことが今日のイタリア料理の普及に大きく寄与したことが間違いないと確信します。

つまり、これまで日本のイタリア料理店においては、ちゃんとした「アルデンテ」のパスタが食べられたということであります。


**** 追 記 ****


フランスはシャンパーニュにお暮らしのクリコ5姉弟妹の次妹マカロン様より


イタリア人が世界でアルデンテに茹でられるのは彼らの他に日本人だけと認めたと聞いたことがありますが


とのコメントを頂きました。

このコメントによっても日本の料理人たちが本物から学び、さらに研鑽によって「正統なアルデンテ」を日本で定着させたことを如実に証明しています。


マカロン様へ


コメントありがとうございました!


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ところが、このところ「芯の残った」という部分のみが定着したようで、それが一人歩きを始め、料理を食べる側も作る側も、どんどん「芯が残った」状態をエスカレートさせているのではないかと思うのです。


おそらく、「柔らかい イコール 茹で過ぎ」という感覚から、どんどん麺を硬くするのが好まれるようになり、また、その硬さに慣れてくると、その硬さをすら柔らかく感じるようになり「これはアルデンテではない」との反応となって現れ、より麺を硬くする傾向がエスカレートしていく「悪循環」が起きているのではないかと思えるのであります。



先日立て続けに出会ったパスタ料理、見事に芯しかなくはっきり言えば「茹で足りないスパゲッティ」が供されてきたのでありました。



人間の感覚において「慣れ」というのは大切な反応です。

ただ、この「慣れ」という反応はややもすると「麻痺」という反応と置き換わってしまいます。

また、中途半端な知識とそれに基づく先入観は、人の判断能力を大きく鈍らせます。


「グルメ評論家」なるものがオピニオン形成に大きな力を持つに至った現代の日本。

「芯が残った」という言葉のみに感化された人々の感性が「時代の風潮」を作り出し、それに料理を提供する側も「お客様のニーズに応える」という責任から、どんどんそれになびいているのではないかという懸念を持たざるを得ないのであります。(「お客に媚を売る」とまでは申し上げませんが)

続けざまに食べることとなった「アルデンテ」には程遠い「茹で足りないスパゲティ」の皿を前に「物事の本質を見極めること」の大切さを改めて痛感する僕でありました。

そして、この「感覚麻痺状態」から起きているであろう今の「芯があればアルデンテ」的な風潮から一刻も早く正常な感覚を取り戻し「正統なアルデンテ」のスパゲッティが復権する日が来ることを心から熱望する僕なのであります。




昨今、ちょっと気になる「エスカレート」への独り言でした。