台風9号の余波を受け、こちら伊勢湾沿岸も久しぶりにまとまった雨が降りました。
台風と雷は、僕の仕事柄、ある意味「天敵」でありますので、一日中雨雲レーダーと配信される天気図を睨んでいた一日でありました。
関東方面の皆様をはじめ被害にあわれました皆様には、心よりお見舞い申し上げると共に不休の努力で防災および救援に当たっておっられる皆様に心より敬意を表します。
さて、近江の国・ぶらり独り旅。
棚田の里を下ってまっすぐ琵琶湖の畔まで来ました。
着いたのは
浮御堂。
臨済宗・海門山満月寺の境内にある琵琶湖の湖面にある仏堂です。
いい伝えによれば、かの「横川の恵心僧都」(源信大師:「往生要集」の選者ですとして有名ですね)が比叡山から琵琶湖を眺めると、毎夜琵琶湖の一箇所が光り輝いているのが見えたそうです。
不思議の思い、網を仕掛けたところ、高さ一寸八分の黄金の阿弥陀仏が引き上げられました。
そこで、一体の阿弥陀仏を彫り、その体内にこの黄金仏を収め、併せて1,000体の阿弥陀仏を造られました。
その1,000体の阿弥陀仏を安置するために建てられたのが、この浮御堂の由来です。
尚、現存する浮御堂は、昭和12年に再建されたものだそうで、それまでの堂は昭和9年の室戸台風により惜しくも倒壊したのだそうです。
橋を渡って御堂の回廊まで行きます。
庇のおかげで出来た日陰の下に腰を下ろします。
湖から吹く風は思いのほか涼しく、本当に心地よいものでした。
この風にほっと心が和みます。
古の人々が自然と語り合いながら風流の心で一服の涼を求める。
その典雅の想いが少しだけ解った気がした僕でありました。
板敷きに胡坐をかき、遠くに琵琶湖大橋を眺めながら、しばし時を忘れた僕であります。
あまりの心地よさにずっと座っていたいのですが、そうもゆきません。
さて、そろそろ腰を上げなければ。
琵琶湖の湖岸に沿って国道を走ります。
たどり着いたのは
(園城寺)
通称「三井寺」と呼ばれる天台宗の古刹。
天台宗寺門派の総本山ですが、延暦寺とは何度も対立を繰り返し、また何度も焼き討ちや廃寺寸前にまで追い詰められながらもそのたびに復興をとげてきた歴史を持ちます。
ひと呼んで「不死鳥の寺」
なんともたくましく、霊験あらたかなお寺であります。
さて、今回こちらに参拝したかったのは、この寺が日吉大社様とおおいに因縁のあったところだったからなのです。
日吉大社様の東本宮に安置されているものがあります。
(日吉大社御神輿)
中世の時代、僧侶達は、強い権力を握っていました。
また、僧兵と呼ばれるとおり、武力を併せ持っていました。
その権勢をかさに、ときに朝廷や幕府に対して、無理な要求を突きつけることとが頻繁にありました。
この強訴にさいして、園城寺の僧兵達が担ぎ出したのが、この日吉大社様の御神輿だったのです。
日吉大社様でこの御神輿を拝見し、そんな歴史を思い出したことから、こちら三井寺に参拝することを決めたのでした。
時計をみれば、16時過ぎ。
さすがにちょっと疲れました。
本当は、さらに紫式部ゆかりの石山寺にも足を運びたかったのですが、今回はやめておきましょう。
ところで、近江と言えば、忘れてならないのが「近江八景」。
先の浮御堂は、「堅田の落雁」として名を連ねています。
また、こちら三井寺もまた近江八景に詠われた場所。
これが、その歌枕であります。
(三井の晩鐘)
そして、石山寺もまた「石山の秋月」として詠われたところ。
日吉大社の境内で、「某・心がけの良くない御仁」から「浮御堂と三井寺の間に近江八景の「唐崎の夜雨」も途中にあります」とメッセージが届いておりました。が、さすがにこの猛暑で疲れが出てきました。
いずれまた、近江八景めぐりにぶらり旅に来ることにして、今日の旅はひとまず終えることにいたしましょう。
エプ子さんをバッグに納め、車に乗り込み家路についた僕でありました。