一夜明けて、平成21年3月28日 土曜日。

いよいよ、お祭りの日を迎えました。


これより、お祭りの様子をご報告させていただきたいと思います。

お祭りは、28日の「宵宮」、翌29日の「本宮」と2日間にわたって執り行われました。

本来、それぞれをご報告すると良いのですが、両日の神事の進行はほぼ同じであります。

よって、この記事では、両日の出来事をダイジェストにして、時系列を追った「一日の流れ」にまとめて構成してお届けしたいと思います。

そのため、画像もその進行に応じて、二日間の中で良い物をセレクトして掲載している事を予めご了承ください。


*****  注 記 ******


掲載する画像は、我が相棒オリ江ちゃんの画像です。が、しかし、今年は、その職責上、自由気ままな振る舞いは許されない立場でありました。

よって、我が相棒オリ江ちゃんを僕の信頼するお仲間に託し、その方の手によって、様々なシーンをフレームに収めていただきました。

僕も折にふれて、オリ江ちゃんとタッグを組みましたが、その画像は全体の一部である事をここにご報告する次第です。

その点につき、あらかじめご了承ください。


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お祭りに先立って、安全祈願の御祓いとご祈祷を受けます。



(宮司さんより祝詞を奉じていただきます)
海風に乗せて-田舎サラリーマンの徒然日記-



続いて、僕が、祭礼部長として「最初の務め」を果たすときが来ました。



(全てを代表して、安全と成功を神前にて祈願)

海風に乗せて-田舎サラリーマンの徒然日記-




ついに始まりました。

もう後へは引けません。

二日間を終えて、この場所に帰ってくるまでの間、何が起ころうと全ての責任は僕にあります。

あとは、とにかく「成功」を信じて進むだけです。





全ての準備が整い、お囃子が始まりました。




(出発を前に「しきたり」に則り行列を整えます)

海風に乗せて-田舎サラリーマンの徒然日記-



僕は、僕の右腕である「副部長」さんと行列の先頭に立ちます。

彼は、僕の3歳下で、小学生の頃からの付き合い。

僕が最も信頼する男であり、僕が祭礼部長を拝命するに当たって、彼に僕の片腕となってもらったのです。

この一年、彼には本当に苦労をかけました。

良き仲間に恵まれた事をあらためて心から感謝する僕であります。





準備万端整い、出発の合図である「拍子木」が打ち鳴らされ、ついに山車が動き始めました。



(しっかりと梶棒を担いで)


海風に乗せて-田舎サラリーマンの徒然日記-


(ちびっ子パワーも山車を動かす大切な力です)

海風に乗せて-田舎サラリーマンの徒然日記-



(山車を引く大勢の人によって長い列が続きます)

海風に乗せて-田舎サラリーマンの徒然日記-






朝日がまぶしい青空の下、お囃子と山車を引く若い衆達の威勢のよい掛け声が、集落の中にこだまします。



この二日間、冷たい北西風が吹きつけ、名古屋気象台の記録では、最低気温は3℃、最高気温も13℃までしか上がらない真冬に逆戻りしたような気候でした。が、その寒さをもろともせず、子供達も若い衆もだれもが早朝より一生懸命に山車を引いてくれました。

行列の先頭に立つ僕の背中に笛や太鼓のお囃子の音色と威勢のよい掛け声がじんじんと響いてくるのを感じながら、今年のお祭りの成功に「確かな手応え」を感じた僕でありました。



道中、集落の穢れを祓い、人々の安寧と繁栄を祈願してゆくことこそ、この行列の最大の使命です。

その事をここに集う若い衆たちは、充分認識してその役目を全身全霊を懸けて全うしようとしてくれてます。

その事を心から嬉しくそして頼もしく思う僕なのでありました。



山車の運行の途中、集落のお宅にお邪魔して、家々の慶事を寿ぎ、家運隆盛と未来永劫の繁栄を願って、お祝い口上を奉納させていただくのが慣例となっています。

これを「祝い込み」といいます。


僕の家にもやって来てくれました。



(家族一同にて、祝い込みを受けます)

海風に乗せて-田舎サラリーマンの徒然日記-



50名を越える若い衆達が、祭礼部長の任に心から敬意を表し、そして、我が家の繁栄を祈ってくれました。

若い衆達が唄う「伊勢音頭」の声が、本当に嬉しい僕達家族でありました。



こうして、山車は、集落を引き回し、氏神様の境内へと到着しました。

これより、この祭礼の最も重要な儀式のひとつ、神前への到着の報告となります。

これを「宮入り」といいます。



我が集落の氏神様の境内は、小高い丘になっています。

その頂上に神殿が建立されており、山車を神前まで引き込むには、約30m急な上り坂を昇りきらねばなりません。

重さ2トンにもなる山車です。坂の途中で止まることは出来ません。

一気に境内まで昇りきることが若い衆に課せられた大きな責任なのです。

この「宮入り」こそ若い衆たちの「心意気の見せ所」であり、また、決して失敗が許されない真剣勝負の場なのです。




神殿の前で立つ僕の元に山車が、坂の下まで到着した報告が届きました。

坂の下にいる彼らが待つのは、祭礼部長からの「出発の号令」。

その号令をもって、山車は境内に乗り込んでくるのです。



(坂の下で祭礼部長の号令を待つ山車)

海風に乗せて-田舎サラリーマンの徒然日記-




周囲の安全を再度確認した僕は、一呼吸大きく深呼吸をし、満を持して「出発せよ」の号令を発したのです。



(一気に坂を駆け上がって来ます)

海風に乗せて-田舎サラリーマンの徒然日記-


海風に乗せて-田舎サラリーマンの徒然日記-


海風に乗せて-田舎サラリーマンの徒然日記-



今年も見事に山車を引き上げてくれました。

境内で見守ってくれた大勢の集落の人々から一斉に湧き上がるの成功を褒めたたえる拍手の渦に大きな達成感に包まれた僕たちなのでした。



(山車の上で誇らしげな笑顔)

海風に乗せて-田舎サラリーマンの徒然日記-



(宮入りの成功を祝して若い衆と記念撮影)

海風に乗せて-田舎サラリーマンの徒然日記-




代わる代わる若い衆達と記念撮影をし、しばし談笑しながら、境内で皆でお昼ご飯をいただきます。

このお昼ご飯は、集落のお母さん達の手によって作られた「手作りのお弁当」。

250人分にも及ぶこのお弁当を作るため、集落の奥様方もまた夜明け前から仕込みに取り掛かってくれたのです。

この手作りのお弁当こそ「集落を挙げてのお祭り」となった大きな「証し」なのです。



このおだやかなひと時の間に、神社の境内は



(大勢の人の波で埋め尽くされました)


海風に乗せて-田舎サラリーマンの徒然日記-



今では、お年寄りからちっちゃな子供まで、集落の人々がお祭りを心から楽しみにし、この日が来るのを待ちわびてくれるようになりました。

この風景を眺めながら、ここまで突き進んできたことが「けっして間違いではなかった」とあらためて実感する僕でありました。



一息ついて、お祭りの「最も重要な神事」を執り行う時刻となりました。

200年以上の長きに渡たって我が集落に脈々と伝承され、代々守り伝えられてきた伝統芸能、


「太鼓舞いの奉納」


です。



今年も一年間、若い衆達が、その稽古を重ねてきました。

小学生の子供達も2月からの2ヶ月間、しっかり稽古を積みました。



(太鼓舞いの奉納)

海風に乗せて-田舎サラリーマンの徒然日記-



6年前、後継者が見つからず、まさに消滅の危機に瀕した伝統でした。

でも、今ここに、しっかりとその伝統を受け継ぎ、そして守り伝える次を担う若者たちが育ってくれました。

そして、その後ろには、小学生達が続いてくれてます。

「風前の灯」だったのが嘘のようなこの光景を見ながら、目頭がじんわり熱くなるのを感じた僕でありました。


本来、祭礼部長たるもの全体の指揮者として奉納を見守るのが「しきたり」です。

そのしきたりを守るため、今年は、笛を家に置いてきた僕でした。でも、この光景を黙って見ているなんて事が、どうしても出来ませんでした。

とうとう笛の輪に加わり、仲間が持つ予備の笛を借り受けた僕でありました。

ふと、視線を感じ、そちらを見ると、そこには諸先輩方の「ほんとに、しょうがねぇヤツだなあ」という表情がありました。そして苦笑いするその眼は、温かく微笑んでくれていたのでした。



すべて滞りなく、神事と行事を終え、境内を後にする時刻となりました。

これを「宮下がり」といいます。

昇ってきた坂を下る時は、祭礼部長が山車の上に座る事となっています。

若い衆の頭に促され、山車の上に腰を下ろした僕でありました。





境内を出て、山車倉に到着しました。

とうとう、今年のお祭りも本当に終わる時がやってきました。

静か引き込まれた山車が倉に納まり「輪止め」が掛けられた瞬間、すーっと肩から何かが抜けていくのを感じた僕でした。

そして、次にやってきたのは「やり遂げた」という「達成感」ではなく「無事終えることが出来た」という「安堵感」だったのです。


どのくらいの間そうしていたのか分かりません、ふと我に返ると僕の周りを若い衆がぐるりと取り囲んでいました。

そして、僕の体がふわりと宙に舞ったのです。


(若い衆が胴上げをしてくれました)

海風に乗せて-田舎サラリーマンの徒然日記-



二度三度と感じる浮遊感に酔いながら、はじめて、「本当にやり遂げたのだ」という実感がこみ上げて来ました。

そして、あらためて、この一年がいかに多くの人々に支えられていたかをかみ締めた僕でありました。







「むすびにかえて」に続く。