一説には寒さが厳しくなって「着て更に着る」から「如月(きさらぎ)」と呼ばれるという2月。

まだまだ冬本番の2月ですが、この月には暦の上では大きな節目を迎えます。

そう「節分」。



我が家でも節分にまつわる恒例行事を行う事といたしました。



さて、まずは、畑の隣の雑木林に生えている柊(ヒイラギ)の木からひと枝を切り取り玄関へ吊るします。


(庭から柊をひと枝)


海風に乗せて-田舎サラリーマンの徒然日記-



本当は、これにプラスして鰯の頭を吊るすのですが、これを吊るすと、鬼は来ませんが、代わりにご近所の野良猫の皆さんがお集まりになって、ある意味「鬼よりも厄介」ということで我が家では毎年パス。



さて、寒い中、玄関先で作業をしていると家の中から「鬼は外」の声が。

何故か、今年は異常に張り切っている息子が、僕を待ちきれずに豆まきを始めてしまいました。

豆まきの最初の一投は、その家の当主が勤めるものとものと言われて育ってきましたが、そんな事は現代っ子の息子には通用するはずもなく、人が寒空の下で準備している間にやられてしまいました。しかも、家に入って豆を入れた器を見ると、すでにほとんど豆をまき終えたあと。


「自分の歳の数だけは残しときなよ」


と僕に言われて、慌てて10粒を数えて「間に合った~っ!」とほっとしている息子でありました。

よかったねぇ。10歳で。



さて、豆まきを終えて、歳の数の豆を食べたら、次は



(こちらです)

海風に乗せて-田舎サラリーマンの徒然日記-





こちらでも、最近ではすっかり慣わしとして定着した「太巻きのかぶりつき」

今年は、ブログのお仲間の皆様の多くの方がなさっておられる記事を拝見しておりますが、この行事、冬の天気と同じく「西高東低」であることが、伺えるのであります。

関西では、かなり一般的に行われる行事ですが、東に位置する東海地方や関東では、あまりなじみのない慣わしではないかと思うのであります。

かく言う僕も大阪に住み始めるまでこの慣わしは、まったく知りませんでした。

こちら知多地方でも、「恵方巻き」を売り出すようになったのは、ここ10年の事ではないかと思うのであります。

そもそも、こちらでは、「かっぱ巻き」とか「鉄火巻き」あるいは「かんぴょう巻き」など「素材」での海苔巻きを名付けることはありますが「太巻き」とか「細巻き」という言う呼び方すら馴染みがありません。「海苔巻き」あるいは「巻き寿司」とひとくくりで呼ぶのでして、ちょっと年配の方でしたら「太巻き」という言葉自体「普段あまり聞いた事がない」でしょう。おそらくこの界隈で「太巻き」という単語にお目にかかれるのは、この節分の一時期だけではないかと思うのであります。




今年の恵方は、「甲」

現在の方位で言えば「東北東」です。

そちらを向いて、太巻きにかぶりつきます。


勢いよくかぶりついたものの、無口で1本食べきることなどは到底無理な話し。

これまた恒例の、途中リタイアとなりました。

残りは切って美味しく頂きました。




こうして、恒例行事をつつがなく終えた節分の夜が明けて、翌4日は「立春」

暦の上では、この日から「春」がやって来ました。

「着更着」といわれる2月ですが、この日から春です。その春を迎える日にかれこれ4年ほど前から、僕は、ある行事を行う事を決めたのであります。


遡る事、昨年の初夏。

毎年この季節にしか出来ない大切な行事があります。

そう、梅酒の仕込み。

毎年、ホワイトリカーで仕込んでいた梅酒でしたが、4年ほど前より、それに加えて日本酒でも仕込み始めたのであります。

ホワイトリカーの梅酒は、毎年「冬至」に封を切ることを慣わしとしております。

一年で最も昼が短い日であり、次の日から「夏至」まで季節は夏に向かって始まります。

その一日を夏に仕込み、秋を経て「冬に至る日」を封切りの日と決めたのです。

では、日本酒の「封切」は何時にするか?

いろいろ考えた結果、「梅の花が綻ぶ、春の始まりの日がふさわしいのではないか」と思い至ったのであります。



(土間の棚から仕込んだ瓶を取り出します)

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蓋を開けると、瓶の中から梅の独特の甘酸っぱい香りが部屋中に拡がりました。

昨年夏、いつもより少し多めの梅の実を使って仕込んだことで、今年の香りはいっそう芳しいものとなったことを実感いたしました。


(今年の新酒です)

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ひとくち、含むと口の中に甘酸っぱい味が満ち溢れます。

梅の実が多かった事によるものか、例年に比べてかなり酸味の強い風合いに仕上がっておりました。

僕の好みからいうといささか「酸っぱ過ぎる」出来栄えでしたが、これもまたひとつの結果です。

まだまだ「自分の味」を極めるには道が遠いようです。

でも、こうした試行錯誤を繰り返しつつ、いつか「僕の味」を見つけ出していければと思う僕であります。





この酸っぱさの中に「暦の春」を感じつつ、新しい季節の訪れを心から嬉しく思う僕でありました。