「世界遺産」のその荘厳で華麗な雰囲気とそのスケールの大きさに圧倒され「ただ・ただ感動」のひと時を過ごした漫遊記一行。
このあと、20:00過ぎのTGVでParisに戻る漫遊記一行ですが、その前にもう1人、「大切な対面」したい方がおりました。
そう、我が妹マカロン様の大事な・大事な「愛しのダーリン様」
この日、昨日からの「一昼夜の連続勤務」を終えて「オフ・タイム」だったのですが、所用をこなすべくParisへ出向いておられたのでした。
ダーリン様が用事を済まされてReimsにお帰りになったところで、食事をご一緒させていただくお約束となっていたのです。
待ち合わせ場所まで、Reimsの繁華街を散策です。
道の両側にお店が立ち並ぶ通りをウィンドウ・ショッピングとおしゃべりしながら、歩きます。
服を売るブティックのディスプレーには、レザーや厚手のウール素材の服をマネキンが纏っております。
「もう、秋冬モードなんですねぇ」とマカロン様に申しますと、こんな答えが返ってきました。
フランス人、季節感ありませんから
ちなみに、この言葉、大魔神ツーリストビューローのスタッフ様もセーヌ河の堤を歩きながら仰っておりました。
マカロン妹様によれば、この噴水、日本人が設計したらしいです。
日本に帰って、少し調べてみたのですが、未だに判明しておりません。
どなたかご存知の方いらっしゃいましたらご教授ください。
この塔の下でしばし小休止。
すると、マカロン様の携帯に着信が。
マカロン様に促されて、少し歩きますと、そこに待っていたのは、髪を短く刈上げた1人の好青年。
少したどたどしい日本語で「はじめまして○○(←ダーリン様のお名前)です」とご挨拶くださいました。
我が社長、「○○お兄さん(ダーリン様)にあったら、「ジュ・マペル○○(←社長の名前)」ってフランス語で挨拶するんだ」と張り切って練習してきたのですが、緊張して言いそびれておりました。
「本番に弱い」は、バイアリー家の血筋のようです。
マカロン様&ダーリン様が予約してくださった「ビールが美味しい」と評判のパブ・レストランに入り、「フランスならではのサービス」を体験しつつ(マカロン様が仰った「フランス人には、泣かされる事が多いです」の意味をちょっとだけ垣間見た気がいたします)楽しいおしゃべりが続きます。
それぞれ料理を頼んだのですが、ここでも「小食」な僕は、ビールを2杯飲んだものの、ほとんど料理を残してしました。
「本当に申し訳ない」と詫びると「お兄様の主食がビールと言うのは、よく存じ上げておりますから」とにっこり笑って仰ってくださった妹様でした。
ここでもわが社長は脅威の食欲を発揮いたしました。
この旅を通じて、彼の強靭な胃袋と何でもちゃんと味わって食べられる味覚には本当に助けられた実行委員長でございます。
僕の正面にダーリン様がお座りになり、いろいろとおしゃべりです。
マカロン様は、「味わい母子」とおしゃべりをしつつ、折々、僕を気遣い、フランス語の通訳と「ダーリン様の日本語チェック」をしてくださいます。
途中から、「英語でおしゃべり」となったダーリン様と僕でした。
そんな僕たちの様子を見て、マカロン様も「味わい母子」とのおしゃべりに専念。
そのマカロン様が発した一言が僕の耳に届きました。
「なんて訳せばいいんでしょう?」
これまで供された料理のメニューに使われていたのは、パスタやパン類が多かったフランスでの食事。
マカロン様に「フランスの料理の印象は?」と聞かれての社長の感想は
炭水化物ばっかり
「炭水化物」って
フランス語でなんて言うんでしょう???
在仏4年のマダムを困らす動物博士君でありました。
楽しいひと時もあっという間。
Parisへの列車の時刻が迫ります。
駅へと向かい、ホームへ出ます。
「くれぐれもお忘れなく」の検札機での打刻もちゃんとすませました。
「今度は、日本で」
そう、お約束し、固い握手を交わしながら、心の中で「これからも妹をよろしくお願いします」とダーリン様にお願いした僕でありました。
漫遊記一行は車内へ。
僕は、オリ江ちゃんを取り出し、「ホームのお二人&シートに座る味わい母子」を車窓を挟んでの4ショットで記念撮影。
間もなく、発車を告げるメロディが流れ、TGVは滑るように動き始めたのです。
「いつか、また、必ずここに来よう」
手を振って見送ってくださるマカロン妹様&ダーリン様、そして、遠ざかるReimsの街を見つめながら、そう語り合う漫遊記一行でした。
40分の列車の旅を終え、Paris東駅に到着したのは、午後9:00。
(午後9:00を過ぎて、まだ、ほのかに明るい夏のParisです。)
この夏のParisの「長い昼」が、今回の旅で「ありがたく」もあり、また、「思うにまかせない」原因でありました。
何しろ、「夜がなかなかやって来ない」8月のParis。
夜景を楽しもうと思ったら、「夜10時を過ぎてからスタート」とならざるを得ません。
何しろ今回、3泊4日の旅。すなわち「夜は3回しかやって来ない」のであります。
すでに、2夜が過ぎました。そう、泣いても笑っても、今宵が「Paris最後の夜」なのであります。
疲れていようが、眠かろうが、ここは、社長にも頑張っていただきます。
なに、明日飛行機に乗ったらたっぷり寝る時間は差し上げますので。
Reimsのレストランで、一足先にParisに戻られる敏腕ツアコン様と、
「TGVは、午後9:00に東駅に到着着きますから、タクシーでホテルまで戻ります。ホテル前で9:30に待ち合わせということにしましょう」
と打ち合わせした実行委員長でした。
定刻通り駅に到着。
TGVを降りて、タクシーに乗り込みます。
ホテルのカードを持っていけば問題なかったのですが、うっかり忘れた実行委員長。
運転手のムッシュに
「ミュゼ・ルーブル、ニアリヒヤ・プレイス、オテル・ド・ルーヴル プリーズ」
と告げました。
満面の笑みで「ウィっ!」とムッシュ。
日本で散々Parisの地図を眺めていた僕は、この「オテル・ド・ルーブル」というホテルが、実際に漫遊記一行の滞在するホテルとルーブル美術館を挟んで対角線上にあることを、把握しておりました。
ですので、近づいたら、僕たちのホテルの前までタクシーを誘導すればよいと考えたのです。
タクシーは、徐々に夜の闇が包み始めたParis市内を進みます。
どの通りも照明に明かりが灯り、ブティックのディスプレーやビストロのテラス席なども間接照明に照らされて、まさに「絵になる街」として新しい魅力を見せ始めております。
その景色を眺め、ふと隣を見るとそこには「すうすう」と寝息を立てている社長がおりました。
思えば、日本を立って以来、時差をもろともせず、動き回ったこの3日間です。
ここまでよく歩きました。
長い階段をひたすら昇りました。
よくぞまあ、140cmそこそこのちいさな身体でここまで頑張ったものです。
「さあ、この後、とびっきりの風景が待っているから、もう少しだけ頑張るんだよ。」
心の中で、そう社長に語りかけた実行委員長でありました。
さて、タクシーは、通りを進み、市庁舎が左手に見えてきました。
敏腕ツアコン様の市内周遊ドライブのおかげでホテル近隣の景色を記憶していた僕は、現在位置をロック・オン。その先が、ホテルの前にある教会である事を確認したのです。
腕時計の針は、9時22分をさしておりました。
どんぴしゃ、定刻です。
ベスト・ポイントです。
交差点に差し掛かり
「ここで降ります」
と告げると「ホテルはその先だからちゃんとそこまで行ってあげるよ」ともう、いかにも親切そうに「遠慮すんなよ」的なムッシュの満面の笑みでございました。
いや、そこまで行ったら行き過ぎですから!!
ここで良いんですからっ!!
降ろしてちょうだい!しるぶぷれ~~っ!!
無常にも(?)タクシーは、暗闇に浮かび上がるルーブル美術館の建物を左に眺め、リクエストどおり「オテル・ド・ルーブル」の玄関に横付けされたのでした。
タクシーを降り、時計を見ると時刻は9:27。
待ち合わせ時刻まであと3分。
悲しき日本人サラリーマンの性(さが)とでも申しましょうか、「アポイントに遅刻する」と言うのがどうにもこうにも我慢がならない僕でありまして。
こういうときに出るんですねぇ、「人間の本性」というやつが。
この時点で、僕の頭の中は、「いかに3分でホテル前に到着するか?」の一点で埋め尽くされたのであります。
最短距離は、ルーブルの中庭へ入り、ピラミッドの横をつき切って教会側の門を抜けるルート。
つまり、初日に夕暮れの散策をした逆ルートを進む事。
はしれ~~っ!!
夜の闇に包まれたルーブルの中庭に日本語の絶叫がこだましたのでありました。
中庭に入りピラミッドのあたりで、目指す門の扉が既に閉ざされているのが解りました。
そのまま直角に急旋回して、セーヌ河沿いの通りへ出られる門へ。
時刻は、9:30。
中庭の閉門刻限と勝負した漫遊記一行でした。
というか、独り焦る実行委員長にありありと「迷惑顔」で走る「味わい母子」というシーンでございした。
「味わい母子」を50mほど引き離し、急ぐ僕を呼び止める声。
すでに教会の脇道に車を停めてスタンバイしておられた敏腕ツアコンご夫妻様でございました。
立ち止まり時計を見れば9時37分。
「何、走ってるんですか?それに社長と奥さんは?」
と不思議そうにお尋ねになるそのみ様。
「かくかくしかじか」と9時30分に遅れないように「オテル・ド・ルーブール」からピラミッドの横を全力疾走してきたことを告げると「そんな、走んなくてもいいのにぃ~。○○(社長)と○○ちゃん(家内)お気の毒に。。。。。」
程なく、たどり着き、「ぜぇ・ぜぇ」と肩で息をする味わい母子を「大変だったねぇ、お疲れ様でした」気遣ってくださる敏腕ツアコンご夫妻様でございました。
こんな時は、「フレンチ・シンキング」でいいんですよね?大魔神ツーリスト・ビューロー様。
車に乗り込み、いよいよ「ナイト・ツアー」に出発です。
フランス最後の夜です。
しっかりこの目に「記録」ではなく「記憶」を焼付けようではないですか。
車のシートに納まった途端、すぐに「舟を漕ぎ始めた」社長ですが、もうひとがんばりする価値は充分あるはず。
着いたら起こしてあげるからね。
では、出発です。
「フィナーレの夜は、キラキラと光り輝く」編につづく。