フランス時間、2008年8月12日。


テクノロジーが結び、そして育んでくれた「人様とのご縁」のありがたさを心から感謝する「念願の対面」をはたし、漫遊記一行は、「わが妹 」の案内で路線バスに乗り込みました。

Reims市内を走るルートの途中では、このあとゆっくり訪れる予定の「世界遺産」や、市内に残された史跡など窓の外に現れる景色を妹様の解説で眺めながら進んでいきました。


目的のバス停に到着し、妹様とともにバスを降りた漫遊記一行とふんころがし様&博士様ご夫妻。

バス停から目的地の敷地に入り、駐車場でParisから車で出発し、すでに到着していた大魔神ツーリストビューローのお二人と合流です。


(着いた場所は、ここです)



シャンパンの名門「Vevue Clicquot Ponsardin(ヴーヴ・クリコ・ポンサルダン)」

シャンパーニュを代表するブランドとして全世界で高い評価を受けているメーカーです。

日本でも多くのファンに愛され、かく言う僕もこの黄色いラベルをこよなく愛する一人です。

そして、僕達には、「ヴーヴ・クリコ5姉弟妹」の絆を結ぶ特別なブランドなのです。


「田舎の飲兵衛親父」の長年の憧れは、「シャンパンのカーヴをこの目でじかに見学すること」でした。

その夢が、今、ネット社会のありがたきご縁によって叶おうとしております。

ゲートに立ち、その瞬間の訪れに「夢見心地」の僕でありました。


駐車場で合流した宮田様&そのみ様ご夫妻様も含め、3組の夫婦プラス社長そして妹様の総勢8名で、建物の中に入ります。


(建物の中へ)


しばし、サロンで待つようにエスコート役のマカロン妹様に指示され、メイン・ハウス内の階段を上がってソファーに腰を落ち着けた僕たちでした。


(シャンパーニュの名門カーヴのゲストサロンでくつろぐ田舎の小学4年生)


この、すっかりくつろぐ我が社長の姿をファインダー越しに眺めながら、「僕の長年の夢をさらりとこいつは実現してるんだよなぁ」と我が息子の境遇に羨ましさを感じた僕でありました。

まあ、彼の「10年後」に期待しましょう。


さて、このくつろぐ小学4年生にさらに嬉しいプレゼントが贈られました。

プレゼントしてくださったのは、この日初めてお会いしたふんころがし&博士様ご夫妻。

我が「漫遊記決行」とParisに到着するまでのいきさつをそのみ様のブログや、この田舎駄ブログでよくご存知のご夫妻様は、我が社長が「動物大好き」であるということも社長が「Parisで動物園をリクエストした」こともすでに良くご承知なのでありました。

なんとか、「Parisで動物園」という社長の願いが叶うようにと、ご自身も台湾を出発するご準備でお忙しいにもかかわらず、「Parisには、国立自然史博物館という施設がありますよ」と懇切なメールをくださったふんころがし様でございました。

ここにもまた、我が社長を温かく見守っていてくださる方がいてくださいした。

ほんとうに人様とのご縁はありがたく、ただひたすら感謝するばかりの僕のなのであります。

ただ、今回、Parisでのプランニングはすべて「大魔神ツーリストビューロー」に全面的にコーディネートをお任せしており、「すべては、着いたときのお楽しみ」とした実行委員長は、ふんころがし様からの温かいお心配りに感謝申し上げるとともに、この意向をお伝えし、結果として、ご案内を「ないがしろ」にするようなこととなることをメールにてお詫びしたのであります。

そのご夫妻様が、サロンでくつろぐ社長に向かい、「動物博士君が、喜んでくれると嬉しいけど」と手渡してくれた物、それは、ご夫妻様が、今回のバカンスで訪れたチェコで見つけた「子供向けの動物解説本

旅先で見つけたその一冊を、わざわざ買い求めて、フランスまで運んできてくださったのです。

大判のそれは、かなり荷物だったの違いありません。

この旅を通じて、本当にたくさんの方が我が息子を見守り、愛しみ、惜しみない愛情を注いでくださいました。

親として、そして人として心より感謝申し上げます。

多くのご恩に支えられた漫遊記であることを我が家族は、一生涯片時も忘れてはならない。

いまあらためて心する僕なのであります。


この本を頂いた息子の喜びようと言ったらありません。

書かれている解説は当然に「チェコ語」ですが、そんなことは、動物博士にはまったく関係ありません。、満面の笑みを浮かべながら、食い入るようにページをめくり本を読みふける息子でありました。


(もう、ひたすら本に夢中です)




そんなありがたくも嬉しい和気藹々と心和む時間を過ごしていると、「準備が整いました」とのアナウンスに促され、いよいよ憧れのシャンパンカーヴ見学の開始です。

まずは、ハウスの中の展示スペースを巡回して、クリコ社の歴史やシャンパンの製造方法などを学びます。


(ガイドさんのエスコートで見学開始です)



展示コーナーは壁でコースが仕切られ、クリコ社の過去から現在までの歴史が年代順に理解できるように工夫されています。


(壁にはその年代が、おしゃれにデザインされています)






わが社長には、「夏休みの自由研究」が掛かっておりますから、本人も必死です。


(展示されたジオラマの前で、ガイドさんの解説をしっかり聞くわが社長)



実は、このガイドさん、誰あろう我が妹、マカロン様ご本人なのであります。

今年から、このクリコ社の日本語ガイドに採用され、がんばっておられる妹様が、「兄の長年の夢」を実現してくださったのです。

妹の解説を聞きながら、ここに集った素晴らしい人々と「今このとき」を共有できる幸福に「人の縁(えにし)の不思議さ」をつくづく実感する僕でありました。



見学開始に先立ち、なんとマカロン妹様より「私のギャラが出ない代わりに皆さんはクリコからのご招待ということになりました」と告げられたのです。

「それでは、いくらなんでも申し訳ない」と一同恐縮してしまいました。

あとで、マカロン妹様に伺ったところ、そのいきさつが解りました。

通常クリコ社では、「フランス語ガイド付き見学サービス」を行っています。

これは、予め申し込めば誰でも受け付けてくれます。

でも、この「日本語のガイド付きのサービス」は、本来マスコミや飲食業関係者などのVIP向けのサービスなんだそうです。

もし一般ゲストが日本語ガイドつきの見学を申し込むとしたら、通常のフランス語ガイド料金で換算して「30人が1ロットの料金設定」となっており、申し込み人数がそれを下回った場合は、1ロットの料金を申し込み人数で割った金額が「一人当たりの入場料金」とされるとのこと。

それでは、今回の参加人数である、未成年で対象外の社長を除く「6名」では、かなり高額の入場料になってしまう。

そこで、マカロン様の上司の方が、粋な計らいで、「今回の6名は、正式な来場者としてカウントしません。だからマカロンのギャラもなしね。でも、その代わり、みんなで好きに見学していらっしゃいな」とご配慮くださった結果だったのです。

この「懐の大きな計らい」に自分で考えることを放棄し、何でも「規則」だの「ルール」だのと騒ぎ「人の心の本質」を忘れてしまっている「今の日本人の了見の狭さ」が心に浮かんで、恥ずかしく、そして、哀しくなった僕なのでありました




さて、展示スペースを見学した一行、いよいよメインイベントに突入です。

分厚い扉を開けた先にある地下へと続く長い階段を下っていきます。



(地下へと続く長い階段)



階段をおりた先に僕たちを待ち受けていたのは、広大な地下壕の一大空間でした。

その空間の正体は、古代ローマ時代、石灰岩を採掘したあとに遺った洞穴。

その洞穴は、なんとReimsの街全体に網の目の様に張り巡らされ、その延べ延長距離は数百kmにも及ぶ途方もない巨大空間を形成しているのだそうです。

その空間を利用して、現在、各シャンパンメーカーがそれぞれの区域を所有して、シャンパンの製造に活用しているということなのです。

しかも、この広大な地下洞窟網、驚くべき事にすべて繋がっているのだそうで、その所有区域の境目には、境界線が引かれているんだそうです。



(巨大地下空間が延々拡がっていました)



かつて、何度となく本で読んだり、写真で見たこと事はありましたが、実際この風景をこの目で目の当たりにした僕は、そのあまりのスケールの大きさにただひたすら圧倒されたのでありました。


つい、ぽろりと


これだけの広大な洞窟を作るだけの石灰岩をさしたる道具や運搬装置のない時代に人力で掘り出した古代ローマ人ってすごいなぁ


と漏らしたところ、敏腕ツアコン様より


本当にすごいのは、実際に掘った奴隷たちだけどね


と突っ込まれた実行委員長でございました。



見学ルートの途中、いたるところに木箱に収められた瓶や、大きな樽が積み上げられているのですが、これは、すべてれっきとした「売り物」なのだそうです。

つまり、この場所は、見学のために用意された展示空間ではなく、れっきとした現在稼働中の工場の内部であるということ。

僕たちが見学している最中もひっきりなしにシャンパンを運ぶトロッコが走り回っておりました。



(すべては、出荷を待つために眠りについている売り物たちばかり)




(シャンパンを運ぶトロッコが行き交います)



(この樽には、最高級の畑の表示が)




マカロン妹様の懇切な解説で広大な地下のカーブを進んで行きます。

驚いたのは、このガイドの途中、マカロン妹様は、一切メモを見ずに滔々と解説してくださったことです。

これまで、ネット社会での交流を通じて、その聡明さに、密かに尊敬申し上げておりましたが、今回、あらためて我が妹様の「頭脳明晰なること」を実感した僕なのでありました。



地下の見学もいよいよ、終着。

再び地上へと続く階段には、もうひとつの仕掛けがありました。

階段の各ステップには、年号が書かれたプレートが取り付けられていました。

農産物である葡萄は、自然環境の変化にその出来栄えを大きく左右されます。

その出来栄えは、当然シャンパンの品質に大きく係わってくるのです。

全世界に未来永劫「クリコの味」を変わることなく供給し続けるためにクリコ社は、収穫年の違うシャンパンをブレンドし調合した上で出荷します。

そんな中、葡萄の出来ばえが素晴らしく、クリコ社が、その年収穫された葡萄だけを使って醸造する「ヴィンテージ・シャンパン」を製造し、世に送り出すことがあります。

そのヴィンテージに選ばれた「特別な収穫年」を記念したプレートでした。


それぞれが、「自分の誕生の年がはたしてヴィンテージとなっているか?」をワイワイ言いながら探しております。

下のほうから「あった・あった」と叫ぶ方あり、だいたい同年代の僕たちはひとかたまりで探しておりますと、かなり上のほうからの「あったぁ~!」と歓声が。



そう、「最上段」を射止めたのは


(「平成生まれ」にゃ、勝てません)



「平成10年って、西暦何年だったけ?」

「えぇ~っと、平成元年が昭和64年だから、昭和は、年号に1925足すと西暦になるから、う~~ん。。。。。」


遠くシャンパーニュの地下洞窟で「元号」に頭を悩まし、最後は、実行委員長が防犯の為、旅の間肌身離さず携帯していた社長のパスポートで確認した昭和生まれの日本人一同でした。



えっ?

僕ですか?



(1963年生まれの僕です)



フランスのワイン史上、「今世紀最高の年」と呼ばれた1961年。

そして、前年の評価をさらに上回り「もう二度と起きない奇跡の年」と呼ばれた1962年。

2年続けてフランスのワイン史上に燦然と輝く歴史を残す年となりました。


そして、そのワインの歴史に「20世紀最悪の年」と刻まれた1963年へと続くのでありました。

そして、翌年、前年の葡萄農家の鬱憤を晴らすかのような素晴らしい収穫の年となった1964年なのでありました。


ちゃん・ちゃん!!



どうやら、皆さん無事「当たり年」だったようで、ご満悦の表情で、階段を上り、入り口と同じく重い扉をくぐって、ハウスに戻ってきました。

「このあとは、いよいよお待ちかねの試飲タイムですよ」とのマカロン妹様の声に思わず表情がにやける「節操なし」の実行委員長でありました。

我ながら、「本当に情けない」の一言に尽きます。(しかも、この「節操なし」は、のちほど、さらにやらかします)



ここでもまた、「嬉しいはからい」が待っていました。

「こちらへどうぞ」と通された、テラスのソファーに腰をおろし、ふと、エントランス側に目を向けると、僕たちがいるコーナーの入り口に「モールで仕切りがされている」のに気がつきました。

一瞬「まさか」と思ったものの「いくらなんでも、そこまではあるまい」と思った僕の予感が的中したのです。

そう、その場所は、VIPコーナー

エントランスから一段高く設えられ、陽光が燦燦と降り注ぐその一角は、僕らのような庶民が、決して足を踏み入れる事などありえないスペースです。

これもまた、「妹様のおかげ」と「フランス人の粋」に他なりません。


さらにさらに!!

試飲に供されたシャンパン。

なんと、一般のラインではなく、「ヴィンテージ」でした。

その年、1999年。

しかも、これもまた、「せっかくだから、これ飲みなよ」とマカロン様に周囲が勧めてくださったのだそうです。


これまでのご配慮に、「ここ一番」という場面で見せてくれるフランス人の持っている「心の豊かさ」と、何より、マカロン様が、上司、ひいてはクリコ社から「厚い信頼を寄せられている」ことを知り、胸に熱いものがこみ上げてくる僕でありました。

我が妹の日々の努力とその頑張りに心から敬意を表する兄であります。

この乾杯は、この旅をご支援してくださった皆様への感謝とそして、我が妹への尊敬を込めて皆様に捧げたいと思います。


ネット社会の一期一会に心から感謝して

乾杯っ!!



1999年ヴィンテージ。


いやはや、その「香り高きこと」といったら。

繊細で複雑なその香りは、刻々と変化し、シャンパンを飲み干したあとのグラスから立ち上る「残り香」までもが、素晴らしい芳香を放つのであります。

この「香りのドラマ」には、「下戸夫婦」のそのみ様&宮田様ご夫妻様もいたく感動しておられました。

僕は、もちろんそれにプラスして、その「味わい」も大感激でありました。


(VIPサロンで珠玉のヴィンテージを味わう)





はい。

「節操なし」がさらにやらかしたこと

その手に、しかっかりボトルを握り締め


もう、ここからは、手酌で勝手にやりますから



(皆さんグラスが空いたとて、独り、手酌でやってます)



もう、「アホ」です。

「ほんまもんのアホ」です。

記事を書きながら、この写真をアップして、今更ながら、あまりの節操のなさに、恥ずかしくて「穴があったら入りたい気分」の僕であります。




「この日の記念に」と、この素晴らしいヴィンテージの「コルク栓」を頂いてきました。

「妹との大切な思い出」として、僕の大切な一生の宝物としたいと思います。


(記念のコルク栓)




ちなみにボトルのほうは、このヴィンテージ年が「二人の大切な記念の年」だという敏腕ツアーコーディネーターご夫妻様の記念の品となったのでありました。

まったくお酒をお飲みになられないご夫妻様にも記念の品が出来た事を心から嬉しく思う実行委員長でございました。



そうそう、地下のカーヴから戻り、ゲストハウスのエントランスを行く途中に、アラブ人デザイナーが、考案したと言うクリコオリジナルのラブチェアが置かれてました。(クリコの商品としてもちろん販売されております)

こういうことに目ざとい日仏カップル様とこれまた仲睦まじき「敏腕ツアコンご夫妻」は、早速、仲良くカップルで記念撮影です。

「実行委員長&味わい母」については、こういうのは「まったく絵にならない田舎者夫婦」ですので、ご辞退申し上げたのですが、一同に促され、フレームに収まったのでした。


さて、本当ならば、「いとしのダーリン様」がいれば、真っ先に記念撮影となるはずのマカロン妹様ですが、可哀想にこの場ではお独りです。


うちの社長が相務めました。


社長のヤツ、ボトルなんか持ち上げてポーズとったりして。

この日会って、ますます大好きになった「○○お姉さん(←マカロン様の本名)」とのツーショットに有頂天の「動物博士君」でありました。


このあと、エントランスのブティックで買い物をしたりしてひと時を過ごしました。


せっかくここまで来て、クリコを買わない手はありません。

「何が良いか?」と悩んでいると、妹様より、「日本では販売していないアイテムがありますから、是非お奨めです」と仰っていただきました。

一同、おそろいでそのお奨めの「サンクトペレルスブルグ」を購入したのでありました。


憧れだった「カーヴ見学」。

僕の夢がひとつ叶った記念すべき一日となりました。

そして、その記念すべき一日は、「人様とのご縁のありがたさ」を実感する一日でもありました。

この幸福を心より感謝いたします。


素晴らしき「Reimsでの一日」は、まだまだ続きます。

素晴らしいヴィンテージ・シャンパンで「幸福に満たされたお腹」ですが、「液体が主食」の僕と違い、皆様は「まっとうな胃袋」の持ち主の方ばかりでございます。

カーヴをあとにして、マカロン様がリザーブしてくださったレストランへと移動することにした僕達一行でありました。

そして、僕の「もうひとつの夢」が叶う瞬間が待っているのです。



「偉大なる日本人へのリスペクト」編へつづく