桜の花が今を盛りと咲き誇り、海から吹く風は、やわらかく肌を撫でていくこの季節、僕たちのお祭りが無事終了しました。


集落の隅々まで響き渡る太鼓と笛の音、そして威勢の良い若い衆たちの掛け声が力強く天にも届いたのでしょうか、天気予報が、どれほど「傘マーク」を表示しようとも、お祭りの間、雨は一滴たりともこぼれ落ちてきませんでした。


充実感と達成感とそしてなにより無事に終えることが出来たという「安堵感」にこの数日は、仕事をこなしつつも、いささか「脱力状態」の僕でありました。

今、あらためて、お祭りの二日間をオリ江ちゃんと共に振り返って見たいと思います。



**************  注   記  *****************************


尚、写真の時系列は、二日間の時間の流れと場所について前後が逆転していたり、混在していたりします。何分、僕自身がお役目を頂いている身であり、終始オリ江ちゃんを取り出しているわけにもまいりませんでした。そこで、この記事をまとめるにあたり、二日間の全体の流れが「時系列」として整うようにデフォルメした形で写真をセレクトしつつ記事が書かれている事を予めお断りさせていただきます)


(出発を待つ提灯)



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いよいよ迎えたお祭りの当日。


まず、最初の行事は、神社の宮司さんによる道中安全と無事を祈願する「御祓い」。



二日間の無事とお祭りが盛大に行われることを関係者一同が祈願いたします。

そして、いよいよ、待ちに待った、山車を蔵から曳き出し出発となります。





集落の中を行列は進みますが、途中、様々な難所が待ち受けます。

張り巡らされた電線、あるいは、道幅が狭いところ、それ以上に、山車の幅を確保できない所すらあります。




そんな場所では、こんな芸当も使います。




(すり抜けるために山車の欄干を持ち上げて)






途中、集落のそれぞれのお宅で、「祝い事」があると、若い衆達が、お祝いに参上し、「祝い口上」と「伊勢音頭」を奉納させていただきます。

これを「祝いこみ」と言います。



(お祝いの口上)





そして



(伊勢音頭の奉納)






こうして、集落の皆様の安寧と繁栄を願いながら進んでいくのです。





お祭りの進行は、ちょっと小休止して、ここで、若い衆達の気合の入った衣装のご紹介です。



それぞれが、自分たちの心意気を示すために、一生懸命模様をデザインし、そのデザインの刺繍を半年以上前から発注し、このお祭りに備えます。

彼の間では、自分がどんなデザインにしたかは、絶対の「秘密」であり、お祭り当日に披露して、いかに他から「スゴイ」と言わせるかが、彼らにとって一番の関心事なのであります。

その金額も結構な金額になるのですが、彼らは、この費用を一生懸命やり繰りしながら「積立貯金」をするなど本当に健気な努力をしているのであります。

そんな彼らの心意気が、本当に嬉く、微笑ましい事と暖かい目で見守る僕たちなのです。




(それぞれ自慢の刺繍です)






(中には、こんな若い衆も)




それぞれが、自分たちの「熱い想い」を背中に背負って、この二日間にすべての情熱を注ぎ込みます。

彼らが「お祭りの中心」となってくれたことを心から喜ぶ僕たちであります。





さて、話を山車の進行(これを「道行き」と申します)へ戻すことといたします。


賑やかな掛け声とお囃子の音に包まれながら、山車は、進んでいきます。



(海沿いの道も進みます)




潮の香りが、僕たちや山車を包み込んでくれます。

この場所は、僕が、道行きの道中で一番好きな景色であります。


また、一日目の夜(宵宮といいます)には、提灯に灯を燈して、引き続き集落を引き回します。



(川面に提灯の灯りを映しながら山車は進んでいきます)






さて、山車は、ご神体をお運びして神社に入ります。(これを「宮入り」といいます)




神社の境内では、いくつかの「神事」を執り行います。




まずは、小学生の女の子が巫女さんとなり舞いが奉納されます。




(巫女さんの舞いです)





そして、いよいよ、このお祭りの最も大切な中心行事である「太鼓舞い」を奉納します。

この太鼓舞いこそ僕たちの集落のお祭りの原形であり、この神事は、数百年の間脈々と受け継がれて今日に至っております。

これまで、神社の境内で、ひっそりとこの神事を執り行ってきました。しかし、その形式では、あまりに「地味なお祭り」だったことから「若者たちのお祭り離れ」をまねき、まさにお祭りの存続が「風前の灯」となったのでありました。

その現状を憂い、何とかして盛大なお祭りにしたいとの想いが、「手作り山車」へと結実したのです。




(太鼓舞い神事です)




このスタイルは、この地方でも他では見られない独特のものであり、僕としては、十分「県の無形文化財」に指定される価値があるのではと自負いたしております。

いずれ、その申請をしたいとひそかに心に期す僕なのであります。



この他、「祝詞の奏上」や、「ご祈祷」などの神事が社殿のなかで宮司さんの手によって厳粛な空気の中で粛々と執り行われていきます。

そうして、お祭りの本来の趣旨である「集落の安寧と繁栄を祈願する」という大切な目的が果たされていくのであります。




こうして、神社の境内において、僕たちが神事を奉納している周りには、大勢の集落の皆さんが、お祭りを楽しんでくれており、大変な賑わいを見せております。





(中には、こんな姿も)





この一枚を見るにつけ、僕たちが、夢にまでみた、「赤ちゃんからお年寄りまで集落すべてを挙げてのお祭り」が本当に実現したのだと、今あらためて、感慨が深くなります。


「あぁ、やってよかった」


ただその一言に尽きる気がいたします。




こうして、滞りなくすべての行事を終え、お祭りは、いよいよ終盤を迎え神社を後にすることとなります(これを「宮下がり」といいます。)



(神社より山車を曳き出します)




神社を後にしたら、後は、山車倉に帰る道中となります。


土曜日には「ちらほら」だった桜も二日間で満開となっておりました。



(満開の桜に見送られながら)





そして、山車は、無事山車倉に納まって祭りは、すべて終了したのでした。


(山車倉へ収めます)





山車が蔵に納まり、「輪止め」が掛けられました。

この瞬間、すべてが終了したのです。

お祭りを無事に滞りなくすべてを終えることが出来、その勤めを果たし終えた今年最高責任者である「祭礼部長」さんと僕は、硬い握手を交わしました。

そんな僕たちを若い衆が呼びにきました。

若い衆たちのねぎらいの言葉と盛大にお祭りを挙げてくれたことに礼を言うと、なんと彼らが、僕たちを胴上げをしてくれたのです。

まず、祭礼部長さん、そして続けて僕。


(宙に舞う祭礼部長)



空中に放り上げられながら、その浮遊感が本当に心地よく、そして何よりも嬉しくて、自然と目から熱いものがあふれ出してしまい空の景色が霞んでおりました。




この半年にわたって、様々な困難がありました。

時に激論をかわし、「あわや殴り合い」の寸前まで行ったことも幾度となくありました。

様々の「こだわり」の中で、ひとつの結論を導くために、悩み苦しみ眠れない夜を幾夜過ごしたか知れません。

でも、今、祭礼部長と僕の体が宙に舞った瞬間すべてが報われました。



総勢300名に及ぶ人たちが熱い情熱をぶつけた二日間が終わりました。

この感動を、また来年味わうために、暫しエネルギーを蓄えることにしたいと思います。

仕事もしなければいけませんしね。




「とある海沿いの田舎集落」の春景色の1コマのご報告でした。