沖縄県は、四方を海に囲まれた島々が集まって成り立っている事は皆様周知の通りです。

沖縄本島周辺だけでも100近い島があるのだそうです。

大小様々な島々が点在し中には無人島も含まれているのですが、多くの島には、それぞれに集落があり、人々が生活を営んでいるのであります。

その島のひとつに「古宇利島(こうりしま)」があります。


この島は、沖縄本島から船で15分ほどのところに位置しており、沖縄本島は、まさに「目と鼻の先」にありました。

しかしながら、陸続きではないため、これまでも急病人の搬送など様々なご苦労があったそうです。


「古宇利島と沖縄本島を道路で結ぶ事」


これが、島に暮らす全ての人々の悲願でありました。

そして、その悲願達成に向けて、1979年、島民集会において運動開始の決起がなされたのだそうす。

以来、島民達の粘り強くまた情熱に満ちた運動によって、ついに行政を動かし、建設着工が実現します。


着工開始は、2000年。

決起してからすでに、20年以上の時が流れていたのでした。


悲願だった橋の工事が始まって後も、状況は、大変な困難を極めました。

難工事となった理由のひとつは、その工法の難しさにありました。

これまで、大切に守り育まれてきた「美ら海」を橋の工事で破壊してしまう事があってはならないと、自然環境を出来るだけ壊さないための様々な考案がなされ、最新の建築工法が採用されました。

しかし、その工法は、非常に高い技術力を必要とし、また、環境への配慮から、通常よりも多くの時間が必要とされ、工事の進捗は、遅れに次ぐ遅れを発生させたのだそうです。


2005年2月8日。

当初の竣工予定の2002年から3年の遅れをもって、ついに悲願の橋が開通したのでした。

全長約2km。総工費270億円という一大事業は、こうして、島民の明るい笑顔となって結実した瞬間でした。

実に、1979年の決起から25年の長き歳月を過ぎていたのでした。



今回、この出来たばかりの橋を渡らせていただきました。

橋の通行料は、なんと無料。

通行料不要の橋としては、現在日本一の長さを誇るのだそうです。


今、僕が暮らしている半島の先にも3つの島があり、当時、僕の通う高校には、そのうち2つの島から毎日船で同級生達が通学しておりました。

彼らの生活をわずかながらでも見知っている僕には、この古宇利島の皆さんが、いかに心から橋の完成を待ち望んでおられたのか、とてもよく判る気がします。

悲願であった橋の古宇利島側の海岸は、公園として整備され、訪れる観光客のために駐車場などを整えております。

そこには、この橋が出来るまでの歴史や工事の模様などがレリーフとなっておりました。

その中に、この島の小学生全員が、自分の将来の夢を描いた絵がありました。

このレリーフを見て、まさにこの橋が、「未来への架け橋」なのだと実感したのでありました。


橋を真上に見上げる事が出来る砂浜に下りてみると、その「なまり」からあきらかに沖縄の方だと解るご家族が傍らにテントを張って、釣りと海水浴を楽しんでおりました。

沖縄の方にとっても、きっとこの橋のおかげで、島が「より身近なもの」となったのだなと思うとともに、海の中に浸りながら楽しそうに歓声を上げて遊んでいる子供達を見て、またひとつ「今の沖縄」を考える大切な経験が出来たのだと思う僕なのでありました。


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(古宇利島の橋を望む海岸にて)





*****   補  追   *****


この「古宇利大橋」は、直接沖縄本島と結ばれているのではなく、対岸は、屋我地 (やがじ) 島と結ばれています。

これは、沖縄本島から直接結ぶよりも短いルートであることなどの理由によります。

もちろん、屋我地(やがじ)島と沖縄本島は橋で結ばれており、結果として、古宇利島と沖縄本島は、道路一本で結ばれております。


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