このところ、朝晩には肌寒さを感じる気候となり、「あぁ、秋だなぁ」と実感する日々が続くようになりました。
我が畑も、9月に蒔いた冬野菜たちが、それぞれに成長して、秋冬モードとなっております。
ウィークエンド・ファーマーの悲しさゆえ、ちょっと(本当は、かなり)雑草が多い畑ですが、何とか負けずに一生懸命頑張ってくれております。
さて、我が畑にこの季節、必ず栽培する野菜があります.。
正式和名を「かつお菜」というその野菜は、この地方では、そのものズバリ「餅菜」と呼ばれ、お正月のお雑煮には欠かす事の出来ない大切な一品なのであります。
ところで、我が尾張地方同様、シンプルなお雑煮が主流の、関東地方では、「かつお菜」ではなく「小松菜」が一般的だそうで、この野菜は、冬の野菜の代表選手といってよいほど広く知られているのだそうです。
この野菜、名前に「小松」と付けられており、おそらく「原産地の地名」からだろうなとは思っておりました。
京野菜の「壬生菜」や「九条ねぎ」などは、その典型的な例といえるでしょう。
では、「小松」と聞いて、皆さんは、何処を思い浮かべるでしょうか?
僕の場合、北陸は石川県の「小松」が真っ先に思い浮かぶのであります。
ということで、最近まで、「小松菜は、北陸が原産なのだろう」と勝手に思い込んでいたのであります。
さて、ここからが、今日のお話の本題です。
時は遡ること、元禄。
天下泰平の世に町民文化が花開き、まさに「百花繚乱」の言葉が相応しいこの時代。
天下を治める時の将軍は、「犬公方」として名高い「徳川綱吉」その人でありました。
この綱吉公、一般的には、学問を好む文人のイメージが強かったりするのですが、そこは、天下の将軍様、「武士(もののふ)の棟梁」としての嗜みも忘れてはおらなんだ様で、ある日、「鷹狩り」にお出ましになられたそうな。
現在の江戸川区に当たる場所にて行った、鷹狩りの先で、食事と相成った綱吉公、供された、「青菜の汁」が大層お気に召されそうで、上様は、「この青菜は、何と言う名前か」とお尋ねになられたそうです。
ところが、かの地では、ごくありふれた菜であり、普通に「菜っ葉」とでも呼んでいたのでしょうか、ちゃんとした名前がわからない・・・・・・。
という事で、この地の地名である「小松川」から取って「小松菜」と命名されたんだそうです。
この小松菜って、実は、チャキチャキの・・・いや、「シャキシャキの江戸っ子」だったんですねぇ。
いやはや、我ら庶民の野菜に天下征夷大将軍様が関わっておられたとは、思いもよりませんでした。
これからは、小松菜に限ってのみ、「お浸し」は、ちゃんと「ひ」と「し」がひっくり返る江戸弁で「おしたひ」と呼ばなきゃいけないかななどと思う僕なのでした。
・・・・・・とここまで記事を書きながら、「念のために」と検証しておりましたら、やっぱり、ありました。別の説が・・・・・
この手の「由緒来歴の逸話」には、大抵、ちょっとだけシュチュエーションを変えた、「よく似た話し」が幾つか伝承されているものです。
ということで、かたやの主人公は、「徳川吉宗公」。
何と言ってもこの方、「暴れん坊将軍」ですから「貧乏旗本の三男坊の新さん」が「庶民の味」である小松菜を食べていても不思議ではありませんわな・・・・・・・てな、冗談は、さておき、こちらの「吉宗公説」については、ちゃんと縁(ゆかり)の地に石碑まで建っているのだそうです。
何はともあれ、この「小松菜」の名前の由来には、江戸時代に「上様と庶民」の交流から生まれたものだという事に変わりはありません。
庶民の味の「由緒正しき」お話の一席でした。
**** 追 記 ****
それぞれの説が説明されたサイトをひとつづつご紹介させていただきます。
ご興味がおありの方は、どうぞご覧になって下さい。
徳川 綱吉説 : 独立行政法人 農畜産業振興機構
徳川 吉宗説 : 江戸川区産業情報ネットワーク
どちらも、れっきとした「行政機関」が運営する公式サイトであり、根拠の無い俗説を公にしているとも思えません。
さて、皆さんは、どちらを信じますか?