初めて出会ったのは、高校生の頃。
「贋物漫遊記 」という、なんとも「とぼけた(高校生の僕は、何故かそう感じた)」タイトルに心惹かれ手に取った一冊からだった。
当初、氏のお名前を正しく「すえひろ」と読めずにいた事を今でも思い出す。
以来、20年以上、氏が繰り出す文章の数々は、僕の脳を刺激し続けてくれた。
氏が書く文章の守備範囲の広さと、奥深い文体に、今でも畏敬の念を禁じえない。
氏の訃報が公にされたのは、逝去されて後、随分経ってからのことだった。
これは、氏が生前に望まれた事を遺族の方々が、その言葉に従ったものだという。
氏の訃報を知り、
「誰か、この巨人の未刊行の文章をまとめてくれる仕事をしてはくれないだろうか。このまま、一冊にまとまることなく消えてしまうにはあまりに惜しい」
ずっと、そう思っていた。
そんな僕は、先月偶然に見つけたこの1冊にあらためて「知」の巨人は、「生きる」という事に対しても「巨人」だったのだと知る。
** 本書210頁「あとがき(桑原茂夫氏筆)」より抜粋・引用 **
(前略)病状が予断を許さなくなってきた二〇〇四年春ごろから、種村さんの教え子であり、種村さんを敬愛してやまない高山宗東さんが、同じ思いの齋藤靖朗さんとともに、本格的に編集に取り組んできた。種村さんの指示のもと発表誌紙を遺漏なきように収集し(中略)あらためて、種村さんがそれをチェックするという作業を何度か繰り返す事によってその全体像を確かなものにしていった。(中略)あくまでも淡々と話す種村さんだったが、このエッセイ集はもとより、どの仕事についても、そのひとつひとつに、いとおしむような、いつくしむような気配を感じさせる語り口が生死の境に臆することのない、つよい意志を感じさせ印象的だった。
それから間もない八月二十九日、種村さんはご家族に看取られながらお亡くなりになった。(後略)
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氏は自らの死と真正面に向き合い、いささかもひるむこと無く、自らの仕事を粛々と最後まで成し遂げようとしていたのだ。
この本は、昨年、氏の一周忌に間に合うように出版された。
装幀を引き受けたのは、クラフト・エヴィング商会。
氏が生前注目しておられたのだそうだ。
僕も大好きな、このクラフト集団を、知の巨人が注目しておられたと思うと、遠い彼方に仰ぎ見ていた巨人に何だか少しだけ近づけたような気がして、とても嬉しくなった。(クラフト・エヴィング商会に対する僕の紹介記事は、こちら(ないものります )とこちら(じつは、わたくしこういうものです ))
出版から丁度一年たって、三回忌を目前に僕の手元に届いたこの1冊は、きっと、今、この時に届くべき「運命」だったのだと思えてならない。
故人の三回忌の今日、ページをめくりながら、あらためてその死が惜しまれてならない。
故人のご冥福を心からお祈りします。
- 種村 季弘
- 雨の日はソファで散歩