著者は、日本の精神医学界に多大な功績を持つ偉大な臨床医である。

そして、神戸の地で自らもその揺れに見舞われながら、阪神大震災に羅災した人たちやボランティアに馳せ参じた人たちの衰弱した「心」のケアに全力を注がれた方でもある。

またその一方で、語学堪能な教養人として、いくつもの海外の詩集を翻訳された業績は日本の文学史上に金字塔としてそびえ立つ。


まさに碩学と呼ぶに相応しい著者が、1990年から新聞紙上に書き綴ったエッセイを各章に補追としてサブテクストを追記し、まとめ著された1冊。


戦中に送った小学生時代から「終戦」を経験し、新制高校、新制大学と社会の変化と共に生き、後年、住み暮らす土地で起きた未曾有の大災害を経験し、その災害に対して医療の側から瓦礫の山となった現場の最前線で救援の指揮を執り、一人でも多くの傷ついた「人の心」を救う活動に従事する事まで、全ては、著者の紛れも無い「実体験」である。


自らの経験を心の専門家としての鋭い観察眼を通して、また、著者の持つ「知性」と「理性」とに磨かれた文章は、読む者が学び、深く考えなければならない課題が数多く散りばめられている。




著者が投げかけ、与えた課題にきちんと向き合い、自らが、ちゃんと思索していかねばなるまい。




中井 久夫
清陰星雨