「今俺を 代わりにするな 頬寄せて」

 

誰にも包むすべのない傷の痛みを,頬から伝わってくる温もりに滲(にじ)ませながら声もなく訴えている彼女が今も求めているのは,早くに世を去ってしまった愛する人の面影。

 

疼(うず)くようなジェラシーが,そそけ立つ指で撫でまわす胸の奥の傷みを持て余しながら,寒風に冷え切った長い髪に触れれば,

 

現世(うつしよ)での守りを頼むという,彼女から追いだすことができるはずもない人が幽世(かくりよ)から送ってくる切ない愛の言葉が深く沁みてくる。

 

小盆地を流れゆく冬のせせらぎが耳朶を打ち,おまえがたとえ身代わりでも,誰よりも大切に想う女性ならば,その胸に優しく憩わせてやるがいい,

 

彼女が永遠を誓い合った人が語りかける幽世からの尊い依頼に応えてやるがいい,

 

彼女を苦しめるもの総てに対する盾となることを潔く誓うがいい,

 

自らの負う傷も苦痛も踏み越えて彼女を守り通すがいい,

 

そう,遥かな,そしてどこか懐かしい声で繰り返し囁きかけてくる。

 

「こうしていると立ったままで眠り込みそうだ」

 

「そうなったらきっと森のあやかし達に笑われるわ」

 

俺の肩に頭をあずけて,瞳を閉じたまま彼女は呟いた。

 

誰も通らない古の街道だけが見つめていた冬のロマネスク。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

愛するひとへ「ギネスやアイリッシュウィスキーを飲む夜は,700年の英国支配を遂に打ち破ったアイルランドのように,75年も続いている今の植民地状態を必ず終わらせるぞと積年の志を抱き締め直すよ」と言ったら,

 

いつも目交(まなかひ)にいとおしく立ちもとほる柔らかい微笑を静かに浮かべながら「じゃあ,これからずいぶん長く待つのね」と

優しく囁いてくれたせつない初夢を見た。

 

死者達との約束を果たすため

七度生まれ変わって この賊を滅ぼそう

 

 

 

 

 

 

山間の温泉場にある祖母宅を売却した時のことだった。

 

一帯の相場を調べ,知人の不動産業者と「売地」の看板を立てて待つこと一カ月ほど。

 

祖母宅の近くに住む友人のエージェント?から妙な電話が来た。

 

夜な夜な不審な人物がメジャーを持って何やらしきりに寸法を測っているというのだ。

 

つまりは夜陰に乗じて勝手に私有地への侵入を繰り返しているわけである。

 

「う~む これは敵がルアーにかかりつつあるに違いない!」と色めき立った我らは!?打診が来るのも間近と踏んでさっそくに作戦を固めることにした。

 

来た 来た

 

田舎では結構な資産家で,とある業種の事務所を構えている70歳ほどの爺さんが電話をかけてきたのだ。

 

「最近チラッと見かけただけだけど,あそこじゃあね 引き合いもないでしょう?」なんて,のっけからリードブローを放ってきたので,ともかく一度会って話しましょうと返した。

 

もちろん,実際は二人からしか問い合わせはなかったのだが,

 

「とんでもない!アナタでもう7人目ですよ。あんな田舎でも世の中いろいろと需要があるもんですなあ~私も驚いているところです」とカウンターを打つのも忘れなかった。

 

すぐさま,わがエージェント氏に怪しい不法侵入者殿の人相風体を聞き,そのおおよそをつかんでから日時を設定した。

 

現れたのが調査結果とピッタシの人物だったのは言うまでもないが!?私は名刺交換をしながら,このオヤジが夜な夜なメジャーを持って不法侵入を繰り返していた下手人!かと思い,

 

こんなことなら写真を撮っておけば良かったなと笑いを堪えるのに必死だった。

 

即決せず,他の方々とももう少し交渉してみますよと気を持たせてその場は別れた。

 

別に急ぐ話ではなし,相場で売却できればいいのだから当方に焦りはなかった。

 

3週間ほど待つと「どうなったか?」と電話が来て,アナタの値より2パーセント増しでどうかとついさっき来たところですよと答えると,であれば3パーセント増しで今ここで手を打ってくれと来た。

 

実際は値切りはあったが増しなどなかったのだが,頃は良しと見た私はそれで手を打ったのだった。

 

先方の自宅で現金決済とのことで1週間後に知人の不動産業者と温泉場の豪邸に出向いた。

 

まるで大きな旅館のようなマット運動でもできそうな広々とした玄関から,一本選びの銘木を贅沢に使ったであろう床柱が目立つ和室に通されたが,

 

お茶が出るのもそこそこに庭園を見せるからと連れ出され,あっちの群馬の石は900万円した,こっちの足柄山の石は1200万円した,そっちの伊豆から持ってきた石も1100万円で,降ろす時にはユニックが傾いて一時はどうなることかと冷や汗をかいたなどと,成金趣味の自慢話に余念がなかった。

 

話題が少し振れると思い出したように「ユニックがあ~ユニックがあ~」と爺さんは繰り返すので二人共に閉口し,喋りつかれた様子を見せたのを幸い肝心の決済に移ることにした。

 

抱えてきた百貨店の大きな紙袋から銀行の帯封をした札がつかみだされて積み木のように卓上に並べられたが,最後にひとつだけ輪ゴムで留められた古札の束が置かれた。

 

「では念のため」と私は言い,帯封数は二度数え,謎の?輪ゴム束を数え始めた。

 

元気を取り戻したオヤジは,窯業組合や茶器と花器の自慢話をひっきりなしに私共にし始めた。

 

適当に聞き流しつつ私は慎重に数え続けたのだが・・・

 

 

「あら?」 二枚足りない・・・まさか

 

もう一度数えてもやはり2枚足りない。

 

無言で知人に手渡すと知人もまたゆっくりと二度数えた。

 

その間,私はさりげなくユニック爺さんの表情を観察したが,澄ましてはいたが目を指先へ転じると神経質に震わせているのが解った。

 

「社長,どうも98万円しかないようですね。どこか立派なお庭の石の下にでも挟まってるんじゃないですか?」と,朗らかに笑いつつ手練れの不動産業者である知人が言うと,

 

オヤジはいかにも驚いたという風をつくろってみせて「あれ?おかしいなあ?さっきは確かにあったんだけどなあ」なんどとシレッとこいてポケットから財布を取り出して支払った。

 

さっきはあったんだがじゃなくて,おのれ自身がさっき抜いたんだろうがと私は思いつつ,同じくにこやかに領収書を切った。

 

帰路,傾いたのはユニックじゃなくてドケチの成金オヤジめの脳みそだったなあ!と二人は笑った。

 

まるで狐と狸の化かしあいのような不動産売買のひとつのエピソードである。

 

人は哀しき。