「今俺を 代わりにするな 頬寄せて」

 

誰にも包むすべのない傷の痛みを,頬から伝わってくる温もりに滲(にじ)ませながら声もなく訴えている彼女が今も求めているのは,早くに世を去ってしまった愛する人の面影。

 

疼(うず)くようなジェラシーが,そそけ立つ指で撫でまわす胸の奥の傷みを持て余しながら,寒風に冷え切った長い髪に触れれば,

 

現世(うつしよ)での守りを頼むという,彼女から追いだすことができるはずもない人が幽世(かくりよ)から送ってくる切ない愛の言葉が深く沁みてくる。

 

小盆地を流れゆく冬のせせらぎが耳朶を打ち,おまえがたとえ身代わりでも,誰よりも大切に想う女性ならば,その胸に優しく憩わせてやるがいい,

 

彼女が永遠を誓い合った人が語りかける幽世からの尊い依頼に応えてやるがいい,

 

彼女を苦しめるもの総てに対する盾となることを潔く誓うがいい,

 

自らの負う傷も苦痛も踏み越えて彼女を守り通すがいい,

 

そう,遥かな,そしてどこか懐かしい声で繰り返し囁きかけてくる。

 

「こうしていると立ったままで眠り込みそうだ」

 

「そうなったらきっと森のあやかし達に笑われるわ」

 

俺の肩に頭をあずけて,瞳を閉じたまま彼女は呟いた。

 

誰も通らない古の街道だけが見つめていた冬のロマネスク。