ウィスキーとのつきあいは高校一年生の頃にさかのぼる。

 

泊まりに来た友人と二人,自分の部屋で(考えもなく)ラッパ呑みを繰り返し,二口ほどでやめた友人を尻目にダッシュを効かせてほとんど一本全部を空けてしまった。

 

「オードブルを持ってこ~い!」なんどと親に言えるわけもなく,防御なしで未熟な体に流し込まれたアルコールが牙を剥くのにそうそう時間はかからなかった。

 

泥酔した私は生まれて初めて味わう気色悪さに胸をかきむしりたくなり,わけがわからないうちに眠ってしまって,お定まりのゲロゲロをさんざん吐き散らしたらしく,

 

明け方フラつく頭を抱えて起きると,パリパリと顔中に貼りついたゲロの強烈な匂いにまた吐きそうになり,とりあえずくわえた煙草に火を点けると手元が狂ってカーペットに落としてしまい,

 

アルコールが占領中でうまく動かない指先に手こずっているうちに,火種は横で寝ている友人の鼻先にくっついて,驚いて彼がハネ起きる事態となった。

 

彼は,私が吐き散らしたゲロを,ありあわせの紙で丹念に拭い集めてくれていて,ゴミ箱に押し込まれたそれは異様な匂いを放ちながら未成年の違法行為を無言のうちに主張していたのだった。

 

以来,この竹馬の友にはまったく頭が上がらない。

 

逆のケースだった場合,彼一人が飲んで酔いつぶれたことにして母親を呼び,「僕は何度も止めたんですが・・・」なんて言い訳をし,

 

「心配でしょうがなくてオバさんを呼んでしまいました」なんて卑怯にも繕って,正気を取り戻した彼に後から必死で謝ったかもしれないし!?

 

やがて大学生になり社会人になると,この苦い経験を生かしてたいへん行儀のいい酒飲みになった・・・と書きたいところだが,ゲロこそトイレまで前進して処置できるようになったものの,

 

うっかり何も腹に入れずにグイグイとストレートをあおり,ハッと気づいた時には体内深くに敵の侵入を許し,なんだか怒声と体への打撃が海鳴りのように遠くから響くと思っているうちに意識が遠のき,

 

目を覚ますと留置場で「保護」されていたり,いつのまにかガソリンスタンドの敷地で大の字で眠ってしまい,チェーンを外しに来た従業員達が,鼾をかいている私の寝顔を呆れ顔で見下ろしていた なんてことがよくあった。

 

ダブルのスーツを好むようになった30代に入ってからは少しずつ狼藉は収まったが,冬の真夜中に公園のベンチで仰向けに眠ってしまったり(こういった際に見上げる流れ星は柄にもなくセンチメンタルになる!凍死の危険と隣り合わせだからかも?)

 

歩道を大声張り上げて熱唱しながら蛇行していると,瞳がおぼろげに捉えた対向する人影が何人も,私を大きく迂回して通り過ぎていくなんてことが増えてきた。

 

おっさん街道を無為徒食で歩みつつ初老に入ってくるとこれに,自宅近くでやたらと「職質の練習相手」に選ばれることが加わり,初任者らしき若い警官にニッコリと微笑みかけては「俺んちはスグそこだけどコーヒーでも飲んでかない?」と誘って,

 

パトから見守っている車長が首を横に振って苦笑いしながらストップサインをルーキーへ送るというパターンが多くなっている。

 

いい男から先に逝くというセオリーどおり,思いもよらず生きながらえていると,ウィスキーと過ごす夜は天を見上げながら泳いで遠ざかる幻夢達と過ごすことが増えた。

 

リアリストでドライな御婦人方とは違い,いい歳をしてもまだ童心を滾(たぎ)らせては,かなうはずもない「強大な奴ら」への敵愾心を持ち続けやすい男達としては,

 

遂げようにも遂げられずに青白く燃える志の炎を鎮める液体が必要なのかもしれない。

 

その狭間に立ち現れるのが,愛した女性たちの面影,耳朶を無残に打った言葉,守れなかった約束,何度も見つめた時計,胸で空回りするだけで最後まで伝えられなかった愛,

 

香りの置手紙である恋人のラストノートが潜んだチョッキの裏地,月明かりに立ち迷った二人の言葉,遠ざかっていく聞き慣れたヒールの音,夜に入ってもライトを点けずに座っていたソファ,

 

二人して見上げた遠花火,夏の朝を完璧な白が鮮やかに飾る雲の峰,冬枯れの木立の間で見つけた深山にかかる虹,春風に散りかかる花吹雪を身にまといながら振り向いた瞳,夜半の雪に濡れながら二人が長く歩いた白い街角。

 

耳に滑り込む控えめなピアノに身勝手な言い訳を滑り込ませ,聞いてもいない彼女達のあまやかな答えをちりばめながら組み立てる幻の会話は時としてほろ苦い自嘲も連れてくる。

 

読めもせぬ 背中に書いた 詫び言葉

 

そう呟けば

 

情の事だから,どちらが悪いってわけじゃないわ と返してくれる

だろうか。

 

地上の事は二人だけの宝石箱にしまっておいて と言ってくれるだろうか。

 

男も女もそれぞれに,自分だけの小説をグラスの中にひそやかに書き残せるのが人生なのだろう。