男女の機微に通じた手練れの小説家が幾多の名作で描いたように,いや,小説家ではなくともグラスの中に自分だけの物語を綴る事は誰しもあろうから,

 

「もしもあの時」の嘆きは,時代と人種を超えて,どういった男女にもあるのではないかと思う。

 

邂逅のラグへの痛恨を嘆くひと,やっと手にした二人の時間に最後まで想いを切り出せなかった自らを悔やむひと,

 

彼がその分厚い胸の奥に秘めた,ひたすら自分へ寄せてくれる愛に長いこと気づけずに,ようやく知った時にはもう彼の想いは飛び去ってしまっていたひと,

 

焦らすつもりがいつしか逆に焦らされ,遊び心が消えてジェラシーに苛まれるようになってもなお,自分と同じ苦しみに喘ぐ女性達の存在をありありと感じ取れるようになってもなお,自ら去れないと思い知らされた白い午後の沈黙を抱き続けるひと。

 

たとえ共に過ごすひとがいつしか変わり,授かった新しい命に懸命に愛を注ぎ,忙しい暮らしの中で年輪を刻んでいく鏡の中の自分が限りなくいとおしく感じられる日々が訪れても,

 

雑踏でふと香る,思い出に彩られた香水が呼び起こすかけがえのない艶やかなひとときや,旅先のホームでの別れを告げた発車のベルと足早に遠ざかっていった尾灯,

 

二人して,真っ白な雲の峰の下で思い切り吸い込んだ夏の匂いが含んでいた永遠への切ない願い,夏木立に蝉時雨が奏でていた澄み切ったシンフォニー,

 

桜吹雪に振り向いた微笑,ゆきあいの空を共に仰いで囁いた愛の言葉,後れ毛を濡らす雪が降りしきる滝の畔で伝えあった鼓動とぬくもりがふいに甦ることがある。

 

「もしもあの時」の嘆きは,まるでつい昨日の出来事のように,自分へのもどかしさと尽きせぬ苦しみと,それを薄めてくれる柔らかな諦めを連れて鮮やかに息づいている。

 

どんな女性も最後まで愛を信じているという。

 

その愛に,最後まで応えようとして本当に果たせなかった多くの男達がいる。

 

「時と共に,過ぎ去った光景が美しさを増してくるのは,結ばれることがなかった男女へのせめてもの恵みと慰めなのかもしれない」と,グラスで氷が崩れる済んだ音色を聞きながら胸の奥で呟くことがある。

 

「などかくも 胸の痛むや 君去りし 花の季節のめぐり来るたび」