以下は,かつて世界的に大ヒットした映画で,チャップリンがそのキャラクターを演じたために,実像が大きく歪められてしまった魅力的な人物の自叙伝からの抜粋である。

 

「~勝利の喜びにも浸った。また,戦後の不安の真っただ中にも生活した。が,喜びにつけ悲しみにつけ常に余の試金石となり,光の家となり,ひとつひとつの忠告と深い知恵の泉となったのは,戦死者の追憶であった。

 

彼らはあらゆる地方から,あらゆる生活の層から集ってきた者であった。

                      (中略)

彼らは勇躍して祖国のために最後の犠牲となり,その尊い血を流したのである。

 

国家が正当な権利を持って昂然と頭を上げ他の国家の間に伍していくことができるようになるまでには,その国家の力の確実な表象,その高貴性の最高の記号,偉大さに到達するに必要な活力を示さなければならないのであるが,

 

そうしたものを国家に与えるものは,常に,その不滅の祖国のために敢然として自分の血と生命を捧げる人々なのだ。

 

こうした想念は,戦争が人々の肉体と心と精神に刻み込んだものである。

 

特に,いまだ若くして,しかも人類の本質を洞察していた人々には,こうした考えは深く刻まれたのである。

                        引用終わり

 

≪マルクス,レーニン,ニーチェまで渉猟した優れた知識人,永遠の恋人クラレッタに出会うまでの多彩な女性遍歴≫ と,この誤解にまみれたままのイタリアファッショ指導者の人生を描いた評伝の著者,ブルピッタ・ロマーノ教授は記す。

 

ムソリーニが残した「不滅の祖国のために敢然として自分の血と生命を捧げる人々」に関する高潔な想念は,日本軍と協力して大英帝国に独立を懸けた戦争を挑み,今もなお世田谷に眠るチャンドラ・ボースが,

 

インド国民軍の若者達に向かって,日本軍が大英帝国を追い払ったシンガポールで語りかけた演説をも思い起こさせる。

 

「われらの願いは唯ひとつ!祖国を生かすために死ぬこと」

 

「兵士諸君,わが友よ!今日ここで私は至高のもの,すなわち諸君の血を求める。血を与えよ。私は,自由を約束しよう。」

 

また,13世紀から14世紀初頭,侵略者イングランドの苛斂誅求に呻吟していたスコットランドで,平民出身の英雄ウィリアム・ウォレスが勝ち目のない抗戦を避けて敵に屈服しようとする同胞に呼びかけたと伝わる言葉,

 

「戦えば死ぬかもしれない。逃げれば生き長らえる。少しの間はな」

 

「でも,これからの諸君の寿命をこの一戦に懸けてみる気はないか?たった一度だ,たった一度のチャンスだ。戦場に戻り,敵にこう言ってやれ!俺達の命は奪えても,奪えないもの 

がある。それは自由だ!スコットランド万歳!」

 

「その不滅の祖国のために敢然として自分の血と生命を捧げる」といった高潔な想念は,何も戦争に限ったことではなく,老若男女,職業を問わず普遍的な価値として備えるべきものだ。

 

これを徹底的に否定し,特に「やむをえずしなければならない戦争」をあくまで忌避するように教育によって仕向けられているのが日本の敗戦後の日々だ。

 

そのくせ,反日奴隷脳はもとより,声高に「保守」を自称する人々ですら,結局はアメリカ兵と自衛隊員に死んでもらおうと思っている光景はひたすら醜悪で,真の独立自尊を是が非でも取り戻そうという気配は露ほどもない。

 

戦死者の追憶を踏みにじり,大東亜戦争に至る「間違った国策」の憐れな犠牲者だったと貶め,日教組に典型的に観られるように,アメリカの手のひらで駄々をこねながら,まんまと占領政策の維持固定に利用されているのが「敗者の戦後」の醜い現実だ。

 

長くイタリアを率いたドゥーチェは,その信念を崩さないまま,永遠の恋人クラレッタ・ぺタッチと共に共産主義者達に撃ち殺され,死体に唾を吐きかけられ,拳銃弾を撃ち込まれ,思いつく限りの侮辱を受けた後でミラノのロレート広場(現在は改称)に吊るされてさらし者にされた。

 

志を立てた者の最後は溝に投げ捨てられた死体であり,歴史はいつも,英雄を葬り去った側から描かれるのが常であるとはいえ,群衆の熱狂に辱められる様子を動画や写真で見るにつけ,自らの命で詩を描き切ったその人生は羨望に堪えない。

 

自らも,ひるむことなく祖国のために武器を取ったドゥーチェがイタリア人を鼓舞するために記した滅びることのない想念は決して息絶えることはない。

 

「底を打ってこそ星まで駆け上がることができるのだ」と喝破したイタリア人の物語は,悲劇の衣をまとった魅惑の旋律を響かせながら,勝者達が強いた沈黙を嘲笑する華麗な舞踏をやめはしないだろう。

 

わが国にもまた,ドゥーチェが残した叙事詩になんら遜色ない力強い民族の歩みと,今はか細くはあっても,征服者に禁じられた楽器で禁じられた調べを奏で続ける営為が確かにある。

 

屍を乗り越え,後続に乗り越えられる屍となり,幾度となく生まれ変わっては執拗に再びの独立を成し遂げる。

 

これを果たしたら,積年の望みであるイタリアの田舎町の教区司祭となって,ドゥーチェが葬られているプレダッピオを訪ねようと思っている。

祖国と,愛した女性達への忘れえぬ愛の形見に。

 

                (会津若松市)

    

     白虎隊の崇高な精神に感銘を受けたムソリーニ

 

 

赤色花崗岩の古代円柱で、その上部には右足に鉞を持った青銅の鷲が羽を広げている。その碑文には『文明の母なるローマは白虎隊士勇士の遺烈に不屈の敬意を捧げんがため、古代ローマの権威を表すファシスタ党章のマサカリを飾り、永遠偉大の証たる千年の古石柱を贈る。』と記され、また裏面には『武士道の精華に捧ぐ。ローマ元老院と市民より』と刻されている。

 

中心の円柱は、79年のヴェスヴィオ火山の爆発で埋没したポンペイから発掘した古代ローマ宮殿の柱だ。