男の子を三人授かった。
今はもう全員が青年で,父親のように留置場に「お泊り」したり,公安に尾行されたり,望遠で写真撮られたり,参考人としてウンザリするほど取調べを受けることもなく,
停学や,喧嘩での怪我を「転んだ」と不滅の?言い訳をすることもなく,いじめた相手の親から「治療代よこせ!」とネジこまれることもなく,女子からの不審な!?電話がかかってくることもなく,
集団での待ち伏せ報復に備えて,懐にナイフを忍ばせて街へと「出撃」することもなく,まあなんとか全員が社会人になって働いている。
名誉の戦死もできず,公僕となっても小役人必須の「三匹の猿道」を全く実行できずに四面楚歌で干されに干され,
民間に転じればリーマンショックで爆砕され,一般公募課長で入った自治体では,マスコミ・職員組合・議会・反行政改革勢力の利権タッグに人件費と職員数半減を柱とした改革を汚く潰され,
やむにやまれぬ戦いが敗北続きで,妻子に様々な不安を強いてきた不肖の父としては,倅共が堅気で懸命に働いてくれれば望外の喜びだ。
倅共がまだチビの頃,癌の闘病の合間に一度だけだが,薩英戦争時に薩摩藩の陸上砲台が置かれた公園で夜桜を家族全員で観たことがある。
花冷えが厳しく,指先が冷え切って,子供達の襟元に吹き込む早春の風が気になったが,長男から末っ子までが屈託なくじゃれあう姿には心和んだ。
教科書の反日偏向や,公費を使っての南京への公立高校修学旅行引率洗脳,同じく南京百人斬り冤罪への訴訟支援,その実務量に対して不当に優遇される公務員給与の是正等々,
公僕としても,一国民としても,こういった不正を黙って見て見ぬふりさえしていれば,まして匿名が嫌だからと実名で告発抗議をしなければ,中小零細企業や個人で細々と暮らしている多くの人々から見れば家族は随分と恵まれた暮らしができたに違いないのにと,
何にも親らしいことをしてやれない自分を思って,おまえらは損な父親を持ったなあ・・・と思わず夜桜が滲んだが,わざと不甲斐ない政府を罵るジョークを連発して高笑いしながら涙を見せないようにごまかした。
今,またぞろ再発した癌を抱えた晩年に入って,ひとつだけ言えるのは,雲霞の如き敵勢に後ろを見せず,抗議すべき時に保身のために沈黙した多くの卑怯者達の「小利口な世渡り」に決して与しなかったことのみ。
日教組にせよ自治労にせよ,一人に対して文句を言う時や圧力をかける時に必ず徒党を組むような,いわゆる「薩摩の流儀に反する醜く臆病で卑怯なふるまい」は唯の一度もしなかったことだけが私が何よりも愛する倅共に残せる轍だ。
いずれそれぞれの嫁達も含めて一家団欒しながら,世に棲む日々を終えた私を記念する時に「変わったオヤジだったけど,敗け続けだったのに一度も敵に後ろを見せなかったね」と言ってくれたなら男子の本懐だなあと,
花冷えの夜に揺れる匂い立つばかりの夜桜の美しさに心奪われながら,何者よりもいとおしいチビ達の幻を胸に抱いて願うことがある。
祖国日本の汚名を雪(そそ)ぎ,税金への寄生虫共に抗って人民の権利を固守すべく挑んだ闘いだった。
許せよ。
「新政厚徳」の旗は今も,そしてこれからも,誰かの胸に必ずはためく。