悪名高きナチスのデモンストレーションと化したベルリンオリンピックを持ち出すまでも無く,

 

旧ソ連(ロシア)のアフガン軍事侵略に抗議した1980年モスクワオリンピックへの各国ボイコットや,

 

それへのカウンターとして旧ソ連陣営各国がボイコットしたロサンゼルスオリンピックを思い返すだけでも,

 

政治の影響を強く受けるというか,その時その時の政治状況が投影されるのがオリンピックだということは誰の目にも明らかだ。

 

欲まみれの文科省利権・差配老人が牛耳るJOCの「家賃」が月額4000万円ほどに上る極めつけの異様さや,

 

6人に1人が最近ようやく7人に1人になったという「こどもの貧困」を抱えた日本に,本当はオリンピックなどに大金を蕩尽している暇はないこともまたそうだ。

 

電通はじめ,金目当てのくせに「きれいごと」ばかりを恥ずかしげも無く並べ立てる「オリンピックビジネスの醜悪さ」は目に余る。

 

清谷信一氏が評した如く,オリンピックはもはや「不良白人の国際興行」と化した。

 

世界各国が経費を支えて,オリンピックはアテネ固定開催にするべきだ。少しずつ経費を各国で拠出しあって古代オリンピック精神に立ち返って続けていけばいい。

 

種目も当初のものだけでいい。

 

そこで得られるものは「栄誉」と,文字どおりすぐに萎えてしまう「生きた植物による冠」のみにして。

 

法外な接待費をかけて開催地決定を争い,関連業界の仲間内だけで利権を分け合って,

おためごかしな「オリンピック精神の顕彰」を掲げて守銭奴合戦を続けることに何の意味があるだろう?

 

オリンピック憲章をひとつひとつ追って,近代の歴史を振り返り,今ここで眼前に繰り返されている「スポーツを大金にするための賎しい思惑の蠢(うごめ)き」を見つめる時,原点から遠く離れてしまったオリンピックの「自死」を思わざるをえない。

 

アテネに帰れ!オリンピック。

 

「知ってはいけない 隠された日本支配の構造 (講談社現代新書) 矢部宏治 著」より。

 

*だいたい国家主権を蹂躙する領土問題や拉致問題など,本来は戦争しなければならない相手が主催するオリンピックにノコノコと参加したり,なんであれ国際試合に臨んだりすること自体が間違っている。

 

「スポーツと政治は別だ!」とか「準備してきたアスリートがかわいそう!」だなんてまるで当然のように言うが,

 

別じゃないし,拉致されたまま死んでいく国民や留守家族はかわいそうじゃないのか?ということになる。金目当てに「きれいごと」でごまかしてはいけない。

 

国家主権の堅持と国民の保護とスポーツ興行との「事の軽重」を考えてみるがいい。いったいどっちが優先なのか?と。

 

偽善を厚顔な大嘘で塗り固め,守銭奴根性を振り回しながら,さらわれた多くの同胞を平気で見殺しにし,困窮する多くの国民を捨て続ければロクな未来は来ないだろう。

 

再び,アテネに帰れ!オリンピック!