自分の子供を大学に合格させてもらう見返りに文部科学省の支援事業の対象校とするよう取りはからったとして,

 

東京地検特捜部に受託収賄容疑で逮捕された文科省科学技術・学術政策局長・佐野太(ふとし)容疑者(58)は省内では「将来の次官候補」と目されていたと伝わる。

 

セクシーヨガ通いにいそしんでいる大臣も,性風俗視察の成果と,天下り防止に反して辞めさせられた輝かしい経歴をウリにして稼ぐ前川前事務次官も,この事態を内心どう思っているかはわからない。

 

せいぜい「こんな時に下手打ちやがって!バカめ」くらいだろうか?次のポストに,あるいは「法の抜け道」を使った美味しい天下りに響くじゃないか か。

 

佐野容疑者の経歴を見ればたいへん立派なものだが,その経歴に要する費用もまた,公金で賄われてきたとの自覚がゼロなのだろう。

 

たとえそれが,国民一般の苦しい暮らしとはかけ離れた,安楽な老後へ続く「盗人すごろくの上り」に連なるステップだとしても。

 

どんな事業も税金を使って実施されるといった,しごく基本的なことがスッポリと抜け落ちていたのだろう。

 

自分の子供の点数にゲタをはかせてもらうために,公の地位を「活用すること」に何らの良心の呵責を覚えなかったとすれば(覚えても結局は誘惑に耐えかねたのでアウトだが),

 

公職に就いて以来の「エリート?育成制度」に基本的な欠陥があると思うのは当然だ。

 

まして,こういった税ドロが,まるで反社反日法人NHKが量産する強姦魔や暴行魔のように溢れるばかりに霞が関から輩出されるのだから,

 

義務教育から高等教育に至る学校現場にも,人間性を涵養する基本的な力が決定的に不足しているといった観点からの,原因探求と建設的批判のメスを入れなければならないのもまた当然だ。

 

と,根が腐っていて何が育つのか?といった切り口で,人間が育てられる過程が持つ根本的欠陥と,その欠陥を蔓延させている源流には何があるかを探求し,

 

国民の知る権利を保証すべく,獅子奮迅の働きをしてほしいのが大メディアなのだが,

 

ハイル!ヒトラーの,ナチス由来の記者クラブ・マスコミには,そういった意欲は皆無で,ただただ「これほどの経歴のエリートが収賄を!」といった,ニュースバリューとしての視点しかないのは例によって例のごとく。

 

セクハラの加害はマスコミ自身が最も多く,ネタ取りに「女」を使えとの強要が当たり前の輝かしい?歴史や,根源にある記者クラブ制度下での取材体制への真剣な批判もまた絶対に表には出さずに,必殺技の「忘れさせ作戦」に移行するばかりなのと同根だ。

 

いい年こいていまさらの「セクハラ防止研修」をパフォーマンスでやってみせた財務省の盗人官僚の面々も,日常的に財政研究会(財研)=財務省記者クラブの記者達とズブズブをやっておきながら,

 

宴席を始め,セクハラの現場を,あるいは業者へのタカりを目の当たりにしていながら,この期に及んで下手な猿芝居を打つとは,しかも,税金で雇った弁護士をマスコミに映させてだとは,

 

財務省のオッちゃんが国会で言った「それはいくらなんでも!」「いくらなんでもそれはお受けできません」は,小汚い根性で恒常的に金をかすめ取られている国民こそが言いたいセリフだ。

 

さかのぼれば藩閥政府の金権体質だが,アメリカの日本占領政策の尖兵として,国賊日教組や全共に代表される戦後の教育が機能してきていることを思えば,そしてそれを文科省が,黙認もしくは助長してきていることを思えば,

 

江戸の昔から「役人の子は にぎにぎを よく覚え」とは言っても,

 

「いくらなんでも!」と国民は,思わず心優しき日本人の性質を忘れて,この似非エリートの賤しい盗人共をガトリング砲の前に引き据えたくもなるだろう。

 

命よりも の名文句?!

 

公金使って子どもを医者にと企むようなあさましい奴は,再稼働した原子炉に飛び込むがいい。