いつの頃からか,二言目には「行政が歪められた!」と報道が連呼するようになった。

 

あの「性風俗視察事務次官殿」ばかりではなく,財務省の卑劣なセクハラ疑惑事務次官や,都合のいい記憶中枢を持つ首相秘書官,

 

関係者が何人自殺に追い込まれようが不審死を遂げようが「どこ吹く風」の近畿財務局の迫田&佐川元局長達もまた,

 

これまで好き放題やれていた「人事」が,官邸に握られて,つまらない忖度に汲々としなければならないことへのイラ立ちと共にそう思っているかもしれない。

 

しかし,人事権を各省が持っていた頃は行政が歪められていなかったとしたら,はたして国民全般への適正な行政が整斉と行われていたのだろうか?

 

血税食い散らしのための「天下り利権確保」は無かったとでもいうのだろうか?

 

法案作成時に必ず,チャッカリと「抜け道」を埋め込み,改革を装いつつも自らの安泰を税金で確保する仕掛けは絶対に残し,

 

大規模災害が起こればこれ幸いと,復興関連予算の差配で「焼け太り」を決め込み,累々と積みあがった被災者の死体の上にあぐらをかいては,

 

盗みヶ関=掠めヶ関=霞が関の税ドロ技術に磨きをかけているとは,他ならぬ当事者だった元エリート官僚達が証言しているところだ。

 

ナチス由来の記者クラブ・マスコミはいつも「なんだかんだ言ってもやはり受験秀才のエリート集団で」と,自らとズブズブのキャリアをもてはやすが,

 

入省者の「なれの果て」がさらす醜い嘘つきと盗人とペテン師ぶりを見れば,これはもう,幼少時からの教育制度が人間形成における重大な欠陥を抱えていると思うしかない。

 

いわば,法律を隠れ蓑に盗みを働くテクニックにおいては超一流のクズ集団が,国政の根幹を実質は牛耳り,間断のない「下剋上」を働いているとしか言いようがない。

 

これにまた,事大主義によって猿真似をする地方の小役人の群れが加わり,重税によって国民全般の疲弊を強めている。

 

時代にそぐわない要素を取捨選択するのは当然ながら,

 

普遍性ある徳目を豊富に含む「アメリカ占領軍当局が厳禁した」教育勅語や修身による基本的な人間性の育成は焦眉の急。

 

征服者に洗脳された「占領脳」で条件反射的にアナクロ視して読みもせずに毛嫌いするのではなく,責任感や信義や節操や礼儀や廉恥心や勇気をもって公に奉じる心など,

 

アメリカが,日本人が自ら捨て去り忘れ去るように「征服者に媚びを売る教育と報道によって」仕向けた,大いなるもののために生き死にする日本の心を取り戻していけば,

 

親殺しや子殺し,盗撮や淫行だらけの教育者の世界,規律が弛緩して久しい警察組織にブレーキをかけ,

 

そして何よりも,公金を私することのみに情熱を傾けては,賤しく小汚い根性で国民全般を踏み台にし蔑ろにして恥じない盗人集団になり果てた「似非エリート達の放つ耐え難い腐臭」を漸減させることができるに違いない。

 

アメリカ占領政策の基本方針は,サムライスピリットを維持した者達が絶対に国家の枢要な地位に就かないようにすることだった。

 

その走狗となったのが教育と報道だ。

 

植民地警察軍化を打ち固める9条への付け足し改憲を「ありがたがってみせる」自衛隊の将官もどきを始め,名誉心と廉恥心を投げ捨て,ウソとごまかしで保身のための言い逃れをなりふり構わずに図り,

 

部下達を死や危地に追いやっても恥じない者どもを育てるのは一にかかって教育だ。

 

ここまで与党が支持を失っても全くアテにされないバカ野党にこういったことを期待できないのは一大悲劇だが,

 

トレイターの記者クラブ・マスコミが報道管制を敷く中で,征服者に奪われた歴史を取り戻すための抵抗が粘り強く続けられなければならない。

        美しい熊本の海