過重労働を事実上強制されて今にも死にそうだ。授業ばかりか部活動も重くのしかかる。いや実際にブラック過ぎて死に至り労災認定に!といった報道が近年かまびすしい。
言わずと知れた「学校現場が忙し過ぎて疲弊しきった教師達」のことだ。
ネット報道でも,この風潮に便乗してヨタ記事が氾濫,ばかりかこれを活用し売名を狙う教育学部系の准教授らも出てきて,
これみよがしに文科省への陳情などへ雁首揃える様子をマスコミに映させては「研究実績」としている。
こういった,「あからさまな世論誘導」を見せつけられて気づいたことがある。
まずは,かつてデモシカ教員の蔓延に困った政府が,人材を確保すると称した法律を作って教員の給与を大幅に引き上げたのはうまくボカされ,
他の職種にはない教職調整額といった数パーセントには(これだけではとても足りないといったニュアンスで)ふれても,一方の教員特別手当にはふれず,
同年齢の行政職と比較した生涯賃金が,昭和末期!の試算でも三千万円から高いことは隠蔽していることだ。
次に,教員という仕事は勤務時間で四角四面に割り切れない要素を多分に持つ「特殊な」尊い責務に満ちた困難なもので,だからこその高待遇だと採用時に念を押されているにもかかわらず,
午後5時のチャイムが鳴れば目の前の子供たちに「あとは塾で聞きなさい」と言い捨てて帰宅してしまう「5時まで教員の群れ」の初心を忘れた姿が全く紹介されないことだ。
また,夏休みなどの長期休業中のいわゆる自宅研修も,研修すると届けた当日に,やれパチンコだ麻雀だ釣りだショッピングモールだで暇を潰す「ウソをついての税金泥棒」が横行してきたことへの積年の批判を受け,
しぶしぶといった形で近年ようやく職場になるべく出てこさせての「研修」を命じざるを得なくなったこともお茶の間には伏せられている。
「先生方,この御時世ですからなるべく出勤して研修をお願いします」といった,納税者全体を馬鹿にしきった「なだめのセリフ」が,いったいどれほどの職員室で管理職の口から出たことだろう。
そして何より最大の「隠ぺいによる国民への裏切り」は,教員を疲弊させている「働かない教員達の怠慢」と,
それを事実上は放置する教育行政当局の,見ざる聞かざる言わざるを組合との暗黙の了解のうちに実践する究極の保身実態を国民に知らせないことだ。
他ならぬ現場の真面目な教師達から
「担当者が故意にサボる分は全部自分達に回ってくる。管理職は,無能や怠慢に対しての厳しい指導が全くできない。これで年齢さえ同じなら同じ給料ですからね。
暇過ぎて困っている教員も大勢いるのに正直やってられないけど,自分が断れば子供たちがかわいそうだの一心で無理を重ねているんです」
といった怨嗟の声を私は直接にたびたび聞いている。
まずは教育労働者なんだと突っ張るならば給料は働いた分だけにすべきだ。それより以前に,これまでも今も,仕事を同僚に押し付けて何十年も懐に入れている給与を国庫に返納してから,ブラックだ「サボりホワイト?」だのと騒ぐべきだ。
教員に高給をくれて,一般常識からかけ離れた甘えを何十年を許している結果が今の日本ならば,関連法を是正し,せめては行政職と同等の給与体系(行政職ですら国民全般の生活実態とは懸隔しているのに)にしてから「是正」への議論をしなければならないだろう。
十把一絡げにはしたくないが,食事は5分でとる,トイレに行く暇もない,ゆっくり休んだことがない,なんて一部の感想ばかりをクローズアップしながら,
怠慢をこく税金泥棒達の横行を全然報じない「学術研究」や「現場からのリポート」ばかりでは研究や報道の名に値しない。
修学旅行引率中の見回りに平気で飲酒しながら臨み「特別手当」だけは取る。レギュラー選抜権をチラつかせては「俺はどんな処分だって受けるからな」と部員達にうそぶきつつ体罰にいそしむ顧問,
主任手当の8割を野党様へ「上納するシステム」など,お盛んな盗撮や淫行ばかりではなく良からぬことに手を染める元気は「死ぬほど疲弊していても」じゅうぶんにあるらしいが,
こういった「官設の盗賊団」と正面から対峙せず,性風俗「視察」にいそしみ,教科書の反日偏向に疑問を呈した下僚を「おまえは右翼かあ!」と怒鳴りつけていた前川大先輩に代表される文科省は,
遅刻を平気で繰り返す教員を厳しく指導し,聞き入れないので給与カットをしようとした真っ当な校長が逆に組合とのトラブルを怖れた県教委から「まあまあ校長先生」となだめられ,
自分達は国の真似っこで天下りをするくせに,当該校長は定年後に行くアテが何もないといった「天道是か非か」の嘆きをいつまで放置するのだろう。
真面目に誠実に尊い職責に当たる教師達が浮かばれないようでは士気が上がらない。
現場でたまに気骨があるのがいても,これが決まって校長や県教委幹部の身内で,無能と怠慢を正面切って糾弾するかと思えば,最後の最後は「一人一人はいい先生だから」という,自らが将来管理職に任用されんがための「配慮」が顔を出す場合が多い。
こういった坊ちゃん嬢ちゃんはまた,たとえば僻地へ赴任しても,赴任先自体が僻地の中でもまだ中心地だったり,何のコネもない教職員達に比較して僻地での勤務年数が短かったりするのが基本的に常態ともなっている。
いじめ自殺や教職員の自殺でも,教委当局の保身一途な見苦しい姿勢はいまや広く世に知られている。
教委と学校現場は人事交流があり,教員も事務屋もなぜか,県教委で行政現場を経験すると,いわゆる「ハクがついた」という不思議な錯覚に陥り,つまらない小役人根性だが以後は偉ぶる傾向が非常に多いのである。
もちろん,その後の配置は繁華で便利な学校ばかりを独占するのは言うまでもない。
現場を「調査研究」して報道するのも結構だが,願わくば複眼的でバランスの取れた姿勢で取材に臨み,お茶の間がいったいどういった人種が巣くう場所に大切な子供たちを預けざるを得ないかを明らかにしてほしい。
覚悟とは孤独なものだから,誰か勇気をもって実名での告発を・・・なんてのは求められないしなあ。