3)エッセネ派

 この宗派は、いわば宗教的過激派のグループです。ハスモン家の統治に反対して現世を離れ、死海の西岸など、各地に本部を置き、宗教的契約共同体を結成しました。修道院のような生活を送っていたといわれています。加入の手続きは各共同体によって異なっていたようですが、ある組織では、加入希望者は2年間の修行期間と2回の試験に合格しなければなりませんでしたし、別の組織では、3年間の修行期間が求められるといった状況でした。それぞれが強固な組織と独自の教義を有し、中心メンバーは財産共有と独身主義を求められました。

彼らが目指すものは、「真のイスラエル共同体」を実現することであり、そのために、律法を厳格に守り、礼拝を捧げて、終末が早く来ることを祈るといった生活に没頭しました。また、彼らは独自の暦を採用していましたが、それは、「創世記」に基づいて、毎年1月1日が水曜日になるように調整されていたということです。

このエッセネ派について、とくに注目すべき点は、イエス・キリストが、この宗教運動に参加していたとされている点です。イエス・キリストに洗礼を授けた「バプティズマ(洗礼)のヨハネ」もこのようなグループに属していたとされています。イエス・キリストはもともとユダヤ教の改革運動を行おうとしていたのです。これについては、キリスト教のところで再度言及します。

このエッセネ派の活動については、1947年以来、死海のほとりのクムランで次々に発見された「死海写本」の解読によって明らかにされてきました。それは、ユダヤ教とキリスト教を橋渡しするような内容であるといわれています。キリスト教の母体がユダヤ教であることを示す証拠となるものなのです。

 

4)熱心党

このグループは、イスラエルの地がローマの直轄地にされたことを契機に、反ローマ武装闘争を掲げて結成されたもので、急進的で過激な集団です。彼らは、ローマへの納税を拒否し、ゲリラ活動を繰り返しました。したがって、厳しい弾圧の対象となりました。このグループのなかから、紀元50年ころ、「シカリ党」というテロ集団が現れます。「シカリ」とはラテン語で「短剣」を意味するようですが、ローマに対する協力者、つまり、ユダヤ人を裏切った人々を探し出しては、襲撃を繰り返し、人々を恐怖におとしいれたグループでした。