(4)バビロニア捕囚

ユダ王国は、ヨシア王の時代に一時的に盛り返しましたが、彼が、紀元前609年に亡くなると、再び衰退を始めました。一方、バビロニアは、ネブカドネザルのもとで強勢を誇るようになり、ユダ王国が頼みとしていたエジプトをも排除してしまいます。そして、紀元前597年、ついにユダ王国を制圧し、王族や国家中枢の人々をバビロニアに連れ去りました。これが第一次捕囚といわれているものです。このバビロニアによる侵攻によって、エルサレムの神殿が破壊されてしまいます。

 

あとのユダ王国を引き継いだヒゼキア王は、あくまでバビロニアに抵抗し、バビロニア軍の侵攻に備えて、エルサレムに地下水道を掘り、水を確保しようとしました。その水道は今でも現役で、エルサレム地下で水を蓄えています。ヒゼキア王もエジプトを頼りに反乱を起こしましたが、強大なバビロニアのもとではどうすることもできず、紀元前586年、再びエルサレムを堕とされてしまいます。そして、今度は、全住民がバビロニアに連れ去られます。これが第二次捕囚です。これによってユダ王国は滅亡することになります。

 

<バビロニアでの生活>

バビロン捕囚という未曽有の事態に陥ったユダヤの人々は、それでもなお、自分たちの神を手放そうとはしませんでした。それどころか、彼らは神への信仰をさらに強めました。彼らは、自分たちに起こった出来事を、自分たちの神の弱さによって引き起こされたとは考えませんでした。つまり、自分たちの神の敗北によって引き起こされたとは考えなかったのです。そうではなくて、神の怒りによって引き起こされたと考えました。つまり、自分たちが神との契約を守らなかったから引き起こされたと考えたのです。こうして彼らの神への信仰はますます強まることになります。

 

バビロニアにおける捕囚民たちは、幸いにも集団生活が許されました。彼らは、戦争で破壊された国土の復興のための労働力として用いられました。集団生活が認められたために、ユダヤの人々は、宗教共同体を維持することができました。彼らは、自分たちのアイデンティティの維持を、伝統的な慣習の遵守によって達成しようとしました。ますはじめに、彼らは、自分たちの伝統的慣習を収集整理します。これがのちに、集大成されて彼らの聖書(トーラー)になります。そして、安息日の遵守、割礼や適正食品規定などの慣習の厳守に努めるようになります。つまり、バビロニアで捕囚民として暮らす間に、彼らはさらに強固なアイデンティティ築き上げることになります。しかも、民族的アイデンティティと宗教的アイデンティティを重ね合わせることで、自分たちの強固なアイデンティティを創り上げることになるのです。

 

バビロニアで、彼らは、歴史の編纂事業も興します。それは、出エジプト後のカナーン侵入の直前からバビロニア捕囚までの歴史編纂の事業です。エルサレムがなぜ陥落したのか、その理由を明らかにするためでした。また、この時に、「天地創造」第1章が付け加えられて、神の世界に対する超越性と普遍性が付加されることになります。