<アッシリアの属州>

紀元前670年にアッシリアがオリエントを統一すると、ユダ王国はアッシリアの属州に組み入れられることになります。ユダ王国は、エジプトに支援を求めて抵抗するものの、アッシリアの強大な力のもとで、抵抗を続けることはできませんでした。

 

しかし、紀元前7世紀末になると、アッシリアは次第に衰退に向かい、代わって、紀元前625年、アッシリアの内部から、新バビロニア王国が台頭して、独立することになります。

 

このような情勢の中、紀元前621年に、ユダ王国のヨシア王が一時、北イスラエルの奪還に成功するとともに、 再び大規模な宗教改革を始めます。このときの宗教改革は「申命記」改革と呼ばれています。

 「申命記」改革とは、エルサレム神殿を修復する際に、なかにあった律法書が発見されます。そこで、その律法書に基づいて宗教改革が行われることになったのです。その発見された律法書がのちに「申命記」と呼ばれるようになることから、申命記改革と呼ばれるようになったのです。実際には、その律法書は、改革を主導する人々の手で神殿内に置かれたのかもしれませんが、当時、人々は神による計らいと受け止めました。

 

改革の内容は、祭儀の純正化し、地方聖所の排除することによって、ルサレム神殿のみを正統とすること、そして多神教化を排除することが中心でした。ユダヤ教の改革はつねに、信仰をより先鋭化し、異質なものを排除することによって、自己の純粋性を保つ、という方向に向かいます。そこにみられるのは、強い排除の原理です。

また、神殿から発見された律法書によって、シナイ山で結ばれた神と人々との契約が更新されたと考えられました。そして、紀元前621年からは、「過越祭」が毎年盛大に行なわれるようになります。過越祭を毎年行うことによって、出エジプトおよび、シナイ山での神との契約が思い起こされることになるのです。