(2)王国時代

 1)カナーンへの定着

カナーンに定着したユダヤの民は、牧畜の生活からしだいに農耕的な生活に変わっていきます。紀元前12世紀ころには、彼らはカナーンに12部族の連合体制をとっていました。しかし、部族の連合を統率する国家としての体制はまだ持っていませんでした。

 

 <サウル王>

紀元前11世紀末、人々からの尊敬を集めていた預言者サムエルの支持を得てサウルが最初の王となります。ユダヤ民族最初のイスラエル王国の誕生です。

サウル国王は一番小さいベンヤミン族の出身でしたが、カリスマ性があり、指導者として資質もそなえていました。しかし、変わりやすい性格で躁と鬱を激しく繰り返すという一面もありました。

 

サウルの限界を知った預言者サムエルは、しだいにサウルの部下の有能なダビデを支持するようになります。サウルはダビデを、自身の地位を脅かす存在とみなすようになり、ダビデの命を狙うまでになります。ダビデは難を避けて、サウル王のもとを離れます。

 

 <ダビデ王>

やがて、サウルの3人の息子が殺害され、サウル自身も自害します。そのころ、ユダヤの12部族は、南方6部族、北方6部族に分かれていました。サウル王が亡くなると、北方のイスラエル王国は、サウルの息子イシュバールが王位につきます。しかし南方では、ユダ族出身のダビデが、紀元前1004年ころ、南方の6部族に推されてユダ王国をつくり、ヘブロンに首都を築きます。

 

そして、紀元前997年にイスラエル王国のイシュバール王が亡くなると、ダビデが、北方6部族からも支持されて、イスラエル王に就きます。こうして、イスラエル・ユダ連合王国が成立し、首都をヘブロンからエルサレムに移します。ダビデ王は、エルサレムに王宮を建設し、神との約束の地であるカナーン全域を王国の版図に納めます。このダビデ王と次のソロモン王の時代が、ユダヤの民の王国として最も栄えた時代です。そのころの連合王国の人口は、壮年男子が130万人ほどであったとされています。

 

このダビデ王の時代に、ユダヤ民族としての最初の歴史編纂が行われます。その目的は、南部の最も小さなユダ部族出身のダビデがなぜ国王となることができたのかを明らかにするためです。つまり、ダビデ王の正統性を確認することが目的でした。この時編纂された歴史は、のちに聖書として編纂されます。それは聖書の、『創世記』第2章「エデンの園」から『士師記』第1章「カナーン定着」までにあたります。

 

ダビデは国王として有能でありましたが、自身の欲望のためには部下をも犠牲にするという側面も持ち合わせていました。聖書の「サムエル記」によると、ダビデは、自身の将軍の妻を手に入れるために、将軍を前線に送り死なせたうえで、その妻を自身の妻としました。その妻パト・シェバとの間に生まれた男子が、ダビデのあとを継ぐソロモンです。