1.ナビと私が似ている?

誰かに「似ている」と言われて、嫌だと思うこともありますし、嬉しいと思うこともあります。

私の場合は、子供のころ、父親に似ているといわれるのは好きではありませんでした。しかし、いま、ナビが私に似ているといわれると嬉しくなります。ナビが、最近、私に似て、寝ている最中にいびきをかくようになったというのです。変なところが似ているということなのですが、それでも私は嬉しいのです。

 

2.似ているとはどういうこと?

似ているといわれて嫌だと感じたり、嬉しくなったりするのは、似ているのは何かを共有しているからだと感じるからです。

遺伝子を共有しているのかもしれません。あるいは、何か経験を共有しているのかもしれません。そして、もう一つ、似る原因があります。それは、真似るという場合です。ナビが私を真似たかどうかは分かりませんが、ナビは小さい時はいびきをかいていなかったのに、いまは確かに、私と同じようにいびきをかくのです。そうであれば、ナビは私を真似てしまったと言いたくなります。

 

3.真似るという能力

私たち人間はとくに、生まれた時にはほとんど、生きるための能力を持ち合わせていません。生まれた後で、周りの人々の影響のもとで、生きるためのほとんどの能力を身に着けていくのです。そしてその場合、真似をするという、赤ん坊が先天的に持っている能力が非常に重要になってくるのです。

 

4.赤ん坊の能力

たとえば、生まれたばかりの赤ん坊の顔の前に自分の顔を近づけて、舌を出すと、赤ん坊も舌を出します。生まれたばかりでもそんな真似ができるのです。赤ん坊の時から、誰に教わることなく、相手の出した舌が自分の身体のどこと対応しているということが分かっているということであり、どうすれば自分も舌を出すことができるかが分かっているということです。

 

5.子どもが親に似る理由

赤ん坊は生まれた時からずっと、周りの人々の真似をしながら、それを身に着け大きくなっていくのです。しかも、赤ん坊が真似るのは、身体動作に限らず、心の動きまで真似て、自分のものにしていくのです。そのさい、意識して真似るというより、意図せずに真似ているということですから、真似るというより、写し取るというほうがより正確なのかもしれません。

 

ですから、子どもが親に似るのは当然のことなのです。そして、子どもが親に似ているといわれて、親が嬉しくなるのも良くわかることなのです。

 

6.ナビと私の関係

ナビが私に似てくるのも、ナビが私と濃密な日々を送っている間に、真似るともなく真似て、その結果として、私に似てしまうということでしょうから、私としては嬉しいのです。ナビと私は今では、親子のような関係になっているということでしょうか。