1.高良山山頂に初登頂

友人から誘われて、地元の史跡・景勝地を探訪する会に入会させていただきました。昨日が私の初参加日となりました。昨日はみんなで久留米市にある高良山の探訪に出かけました。

 

高良山といえば高良大社が有名で、高良大社には、子どものころから何度もお参りしたことがあります。毎年正月にお参りしていた記憶があります。どんなご利益があるのか分からないのですが、正月になると、麓から高良大社まで1時間以上もアリンコのように人が連なって登っていきました。

高良大社の展望台から見渡す筑後平野は雄大で素晴らしい眺めです。

 

高良大社までは何度も登っていながら、高良山の頂上には、これまで一度も上ったことがありませんでした。昨日、はじめて頂上に登ることができました。登るといっても、山頂のすぐ下まで車で行くことができるので、ほんの数分で登ってしまうのですが、初めて上ったという感慨がありました。

その頂上から眺める筑後平野は、たしかに素晴らしいのですが、以前に比べてずいぶん様子が変わってしまっていました。

 

 

駐車場の近辺はツツジ園になっていましたが、時期が少し遅かったようで、半分ほどは散ってしまっていて、残念な眺めでした。来年こそはと参加者一同、語り合ったものです。

 

     

 

加えて、高良山まで来ていながら、高良大社の傍らを素通りしてしまい、神様にご挨拶しなかったのは申し訳のないことをしました。高良玉垂命、八幡大神、住吉大神の神々様、ごめんなさい!

 

 

2.夏目漱石の道

高良山の中腹を通る、「夏目漱石の道」と名付けられている小道があります。明治30年、熊本五校(現、熊本大学)で教鞭をとっていた夏目漱石が、親友の菅虎雄に会いに来て、そのついでに、高良山近傍を歩いて俳句を詠んだ記念の道だそうです。

 

のちに小説家として身を立てるようになった漱石は、明治39年に『草枕』を書きますが、その冒頭の有名な登山の場面は、この時の経験に着想を得ていると言われています。その冒頭は、次のように始まります。

 

 「山道を登りながら、こう考えた。 知に働けばかどがたつ、情にさおさせば流される。いじを通せば窮屈だ。とかく人の世は住みにくい。・・・」(『草枕』)

 

「夏目漱石の道」の途中に小さな広場があり、そこに漱石の句碑が建てられています。

 

 「菜の花の遥かに黄なり筑後川」

 

友人でもある正岡子規の薫陶をえた漱石の素晴らしい春の一句です。

 

 

3.変わりゆく風景

しかし、残念ながら、漱石が明治30年の春に経験した菜の花の黄色に染まった筑後平野の眺望は、いまは見ることができません。菜の花の黄色が見えないどころか、筑後平野の至る所に家や工場などが立て込んでしまい、緑の平野すら細々と眺めることができる程度です。

 

 

私が子どものころの正月に、高良大社の展望台から眺めた筑後平野は、広々と緑に覆われていました。その間、数十年の歳月が流れたに過ぎないのですが、いつの間にか筑後平野の眺望は変り果てました。筑紫次郎の異称をもつ筑後川の両側に広がっていた広大な水田地帯は、かつての広々とした眺めが失われてしまいました。残念でなりません。