「獺祭」といえば、今では岩国市で製造されている銘酒を思い浮かべる方が多いと思います。

しかし、「獺祭」というのは、もともとは72候の一つでした。

 

24節気の「雨水」の初候は今では、「土脉潤起(つちいのしょううるおいおこる)」と言いますが、以前は「獺魚を祭る(かわうそうおをまつる)」と言っていました。ちょうど今の時節です。この時期になると獺が活発に活動するようになります。獺は捕った魚を川岸に並べる習性があるようです。それが祭礼の供物のように見えるところから、獺が祖先祭祀をしているとみられるようになりました。それが72候に取り入れられたのです。

 

72候から「獺魚を祭る」が消えたのは、日本で獺が絶滅したこととも関係があるのかもしれません。

獺は、もともとは北海道から九州まで日本中にいた動物です。

江戸時代の俳人松尾芭蕉も、「獺の祭り見て来よ瀬田の奥」という句を残しています。

 

しかし、毛皮を利用するための乱獲や自然環境の変化によって急速に数を減らしてしまいました。そして、1975年に四国で数例の目撃があり、ついに1979年の目撃を最後に姿を消してしまいました。

2017年に対馬で、設置したカメラに獺が捉えられたということですが、詳細はまだ調査中ということでしょう。

 

俳人の正岡子規は学生時代から脊椎カリエスを患ってあまり動けませんでした。それで自分の周りに本を並べて利用していたそうです。そんな自分の姿を獺になぞらえて、「獺祭書屋主人」と自ら号していました。子規の俳句に「茶器どもを獺の祭の並べ方」というものがあります。この句によると、本だけでなく茶器のようなものまで身辺に並べていたのでしょうね。

 

1956年まで生きた俳人の吉田冬葉が、「夕月や魚祭るらん獺の声」という句を呼んでいます。彼は、人間の前から姿を消す前の獺の声を聞いていたのです。高度経済成長が始まる前の日本にはまだ、獺が生きることができる環境があったということでしょう。

 

環境省は、2014年に獺を絶滅種としたそうですが、最後に数例が目撃された愛媛県では、絶滅していないことを前提に「絶滅危惧種」としているそうです。

絶滅したとされた生き物が発見されることもあるので、獺もどこかで生き延びていてくれたらと思います。もしもどこかで生き延びているのであれば、人間には発見されないまま生き延びるほうがいいのかもしれません。