24節季では、2月19日から第2番目の「雨水」の節季に入ります。雨水とは、降る雪が雨に変わり、氷が水に変わる時節という意味です。極寒の時節が過ぎて春の暖かさが出てくる時節ということですが、気候は行きつ戻りつしますので、雨水とはいっても強い寒波がやってくることもあります。

 

でも今年は寒さが戻るのでしょうか。

今日は朝から雨ですが、朝の気温が13度で、朝の冷え込みもありません。

しかもその雨が、月形半平太でおなじみの「春雨じゃ、濡れて参ろう」といった細雨ではなく、雨の中を少し歩けばずぶ濡れになるというほどの本格的な雨で、濡れて歩けば風邪をひくのがおちです。とても風流に濡れていく雨ではありません。したがって、ナビとの散歩も今朝は中止でした。

 

散歩を中止したのにはもう一つの理由があり、ナビの調子がいまひとつよくないのです。また、便が柔くなり、昨夜は何度も庭にでて、下痢をしました。先日の体調不良が充分治っていなくて、ぶり返したのでしょう。今朝は食事も残しました。少々心配ですが、昨日の朝はまともなウンチをしてくれたし、元気はあるので少し様子を見てみようと思います。

 

さて、これからは雨が降るたびに春が進んでいき、植物たちが生き生きと若葉を伸ばし始めることでしょう。それにしても、ここ数日のような暖かさが続けば、春がぐんぐん進んでいき、結果として短い春になってしまうのではないかと心配です。気持ちの良い春が短くなるのは、春を楽しむ文化を持っている日本人にとっては、喜ばしいことではありません。

 

夕方のナビとの散歩も、これまでの私は、ネックウォーマーをつけて、毛糸の帽子をかぶり、手袋をはめ、厚いトレーイングコートを着て出かけていたのですが、今はネックウォーマーも、毛糸の帽子も、手袋も、厚いトレーイングコートもなし、薄手のジャンパーだけで出かけています。それでさえ、少し元気よく歩けば、ジャンパーを脱ぎたくなります。ナビの散歩着も真冬の厚手のものから少し薄手のものに替えようと考えています。まだ2月でこんな具合ですから、やっぱり今年は今の時期にしては気温が上がりすぎではないでしょうか。

 

こういう場合、「これは異常気象だ、温暖化の影響だ」というのが決まり文句ですが、それを防止するために一人一人ができることは限られているし、その効果も目に見えてこないし、地球規模で温暖化対策に取り組まなければもう間に合わない、と言ってみたところで、何か空しさを感じます。

ウクライナやイスラエルでは毎日多くの人々が亡くなっているというのに戦争が止まらないし、アメリカにしても、銃で毎年多くの人々が亡くなっているというのに、銃規制はいっこうに進みません。一人の力ではどうしようもない見えない力によって、人類は破滅に向かって動かされているように感じてしまいます。

 

あまりに悲観的になって、もう何もしないというのも良くないことですから、自分にできることを、全体から見ればナノサイズほどの微々たることであっても、コツコツやっていきましょう。

未来の危険を事前に察知するというのは人間の素晴らしい能力の一つですが、察知しても何もできない場合はかえってストレスを感じるだけですね。

 

この数日は暖かすぎても、また震える寒さがぶり返すはずですから、もうしばらくは厚いコートも置いておきます。厚いコートを置いておくのは、「これを着る機会がありますように」というおまじないでもあります。ぜひ例年通り、また寒くなってほしいと思います。そうでなければ、植物も動物も、そして人間も戸惑ってしまいます。

 

それにしても、寒ければ早く暖かくなってほしいと願っておきながら、暖かすぎると寒さが戻ってきてほしいと願っている自分がいます。これでは頼まれる神様も戸惑うばかりではないでしょうか。