2022年9月27日(火)雷雨強し
(午後2時頃から曇晴れ間になる)
郷土史愛好会西支部研修旅行(日帰り)
我が家を6時20分スタートし
集合場所に着いた頃から雨が降り出し
九州自動車道を行く頃は怖いほどの雷雨に出遭いましたが
ほぼ行程通りに研修を進めることができました!
①最初は楢崎古墳
古墳でも雨は降り続けていて、上り坂は泥濘滑る状態でした!
古墳のある建屋に入ると
5世紀中頃築造され全長46mの前方後円墳で
1号~4号石棺が並んで展示されていました!
破損状態も少なく保管状態は良かったようです!
もう一つの石棺は近くにありました。
②船場橋
江戸末期、物流拠点の船着き場付近に架橋の
馬門石(まかどいし)製の単一アーチ眼鏡橋。
周辺には武家屋敷跡や蔵屋敷・井戸などが現存。
井戸は現存する日本最古の上水道「轟泉水道」の最終点。
③轟泉(ごうせん)資料館
白壁土蔵の建物で、轟泉水道のメカニズムや樋菅材料である
馬門石等の説明。轟水源の水を使用した和紙も紹介。近くに
藩主の菩提寺跡がある。ここは事務局の仕事であまり記憶があいまいです"(-""-)"
④大太鼓収蔵館
白壁土蔵の建物に、江戸時代から宇土各地で使用した29基の
大太鼓や鉦及び民族資料を保存展示されている。
この大太鼓は
「宇土の雨乞い大太鼓」といわれ
国重要文化財指定は全国初めてであり、熊本県の文化財が
国重要有形文化財に指定されたのは初めてのことです。
説明者によると、
現代の各地で叩かれているにぎやかな派手なものではなく
「宇土の雨乞い大太鼓」時代を感じさせる調子のものでした。
本来はこれに笛や鈴の音などがあるようでですが・・・
叩くことができるのはこの人だけのようで後継者が待たれます。
⑤轟水源
鎌倉時代から使用の水源で毎分4.2㎥の湧水量がある。
宇土初代藩主の細川行孝が轟水源を起点と
して市街地まで4.8㎞の轟泉水道を作り、現在も80世帯が使用中。
轟泉水道の技術は、神田上水、小田原水道と共に日本水道史上、特筆される。
⑥昼食は海鮮料理いさり火
Aコースは貝汁定食Bコースはヒレカツ定食
いずれも質&量とも満足されていました。ヒレカツの人には少し多すぎたかな・・・
この頃から雨も上がり青空も見えるようになりました!
⑦松合白壁土蔵群
漁港・醸造・商業の町として江戸期に栄え、住居が密集しているので
防火の為になまこ壁の白壁土蔵の家が建てられ、往時の風情が保存されている。
郷土資料館には商家の什器や帳簿類、民具、不知火関連資料等を展示。
光暁寺
天明3年(1783)に現在地に建立。は入り口には石臼が埋めれれていいました。
この石臼は嫁入り道具として持ってきたもので、
亡くなられた後埋められたものとの説明がありました。
この石臼は以前どこかの寺でもみたような・・・
天満屋前で記念写真
⑧西岡神宮
宇土の地の総鎮護として創建された。約1300年の長い歴史を
誇る西岡神宮には例大祭で使われた獅子頭や神輿の他に
西岡神宮に伝わる様々な歴史資料が展示されている資料館があります。
5色の鳥居がありました。
⑨宇土古城址(通称:に祖岡台)
小高い二つの丘陵からなり、歴史公園として、
建物跡・横堀・城門・木柵など一部の遺構を復元整備。
鎌倉時代末期から菊池庶家の宇土氏が在城。
宇土為光死後は娘婿の名和氏が在城。
史跡等研修見学はここで終了!
道の駅うきでトイレ休憩し買い物!
車窓からは夕日が沈み美しい景色を眺めながらウトウトしながら
寸分違わず18時20分、野々島市民センターへ到着!
秋の夕暮れは早いと言われます。
百人一首の中に
「さびしさに
宿を立ち出でて 眺むれば
いずこも同じ 秋の夕暮れ」
がありますが
こどもの頃、正月のかるたとりで家族兄弟たちで
このかるたとりで遊んでいたことを思い出し懐かしくなりました。
本日のスマホデーター
歩行数:14,327歩
歩行距離:9㎞
歩行時間2時間34分
消費カロリー:470Kcal




















