平成25年9月18日(水)~20日(金)2泊3日
西部民児協は「東日本大震災」で民生委員児童委員の生の声を聞き、宮城県仙台市社会福祉協議会様がどのように取り組まれたかなどの研修に出掛けました。
研修は19日の午後から予定されているため、18日は被災地などの現地を現地のバスガイドさんの案内で見て回ることが出来ました。
「1日目」
出発は福岡空港から仙台空港までの直行便で行き、機内で福島県の青年と同席となり、東日本の海岸線は少し離れていますが、青年から当時の大震災の模様を聞くことが出来ました。被災を受けられた地元の方から直接話を聞くのは初めてでしたので、何からお聞きしたらよいか分かりませんので「地震発生じの模様を聞かせて貰いました。
地震の震源地数か所が時間差で次々と発生したようで、福島県の陸地側では「30分位揺れたようだ!」とのことでご自身の家が損傷し始めたのは15分位経ってから「屋根瓦がバラバラと落ちだしガラス窓が割れ出した」そうです。その後からの修復作業に追われた模様も語ってくれましたが、あの天地がひっくり返りそうな大震災でしたから、東日本の広い範囲での被害状況はそれぞれ大きく違っていると思いますが、この青年の方からの状況は初めて私自身が聞くことが出来ました。
仙台空港について関心があったのは、テレビで放映されていた飛行場に押し寄せた津波に飛行機が押し流されている光景が記憶に生々しく残っていたのですが、この飛行場にはどの位の高さで津波が押し寄せてきたのか、テレビでは分かりにくかったのですが、空港建屋の津波の痕跡を示すマーカー線(地上約4m強の高さ)を見て改めて津波の大きさを実感できました。
バスは石巻港から陸地の方のルートを通ったが被災したままの建物は殆どが見ることがなく更地か新しい建物が建っているかして生活が始まっているようでした。が、中には所有者が不明なのか建物がポツポツとある程度でした。また、瓦礫ととして残っているものは一部の残っているだけで、見る限りでは、ここではほぼ、瓦礫は撤去されているようです。
我々が被災地で下車しのは新しい「お地蔵さん」の前でした。
団体で来たのは我々が初めてでした、地元の方数人がいましたが、我々を待っている様子ではありません。
どうやら芸能人を待っているようでした。間もなく、乗用車数台が着いて、下車して来られたのが、我々が青年時代のアイドル歌手「中尾ミエ」さんでした。にわかに騒然となり、ドッとミエサンを取り囲みま、私を含みカシャカシャとシャッターを押しまくりました。
ようやく騒ぎも収まって話などによると以下のようなことで
特定非営利活動法人
被災地に届けたい「お地蔵さん」プロジェクト
「私たちは、被災された地元の方々と心を一つにし、昔から日本の文化として伝わる「お地蔵さん」を制作・建立する活動しているNPO法人です。ここ石巻市南浜地区をスタートに岩手・宮城・福島の沿岸部(37市町村:約50か所)に計画しております。
全国の皆さまより、お心が詰まった温かいご寄付を頂き、本日を迎えることができました。今後とも犠牲になられた方々の心を鎮められるよう、皆さまの更なるご支援とご協力をお願申し上げます。
以下省略しますが、詳しくは
特定非営利活動法人
被災地に届けたい「お地蔵さん」プロジェクト
http://www.ojizosan.net/soshiki
をご覧ください。
「中尾ミエ」さんがプロジェクトの理事長葦原正憲氏と一緒に「地蔵さん」を訪問されたのは我々はラッキーでした。
名刺を交換して、中尾ミエさんらに見送られて後にしました。
この後「石巻まちなか復興マルシェ」を見学・買い物をして
第1日目の研修を終え、宮城県大崎市にある
名湯・鳴子温泉「鳴子観光ホテル」で温泉に浸かり疲れを癒したところで
懇親会を開き
会長から配布された研修資料に目を通し、明日への備えをしました。
1日目及び2日目、3日目は「「かいさんのホームページ」からご覧ください!


