世界でたった一人でいいから
感情に寄り添い、ありのままを理解してくれる人が側にいたら
悲しい事件は減るのかもしれない。
今日は川崎で起きた通り魔事件に胸を痛め、切なさがわき起こる。
命を落とされた方たちのご家族やそばにいる人たちの悲しみや痛みは計り知れない。
胸が痛む。
もうこのような事件が起きないように、
この事件に対して客観的に居られる人たちができることは
そうせざるを得なかった人の中に何があったのかを知り、
世の中に起きてることを分離してみるのではなく、
自分の一部としてみることではないだろうか。
犯人とされる人を責めることは簡単。
頭がおかしいと言ってしまえばそれまで。
でもそれだけでは悲しい事件はなくならない。
責めたり嘆いたり犯人に対して意味不明だと言った後で良いから、
私もそういう思いはあるから、そんな自分がいると認めた後に、
なぜそんな行動をしなければならなかったのか。
その人の心の中には何があったのか。
そこに意識を向ける。
これは事件に対して直接関係ない人ではないと難しいから。
直接関係していないからできること。
だからこそやること。
答えも正解も何一つない。
でも、私が感じたことは、
たった一人でいいから、
その人の感情に寄り添い、その人を認めてくれる人がいたならば、
悲しい事件は起こさなかったのではないだろうか。
起こす必要はなかったのではないか。
どんな人かは全くわからないし知らないけど、
社会に馴染めない。
人間関係がうまくできない。
ふつうに、みんなと同じように生きられない。
そんな自分を自分が一番責めるんだよね。
本当に苦しい。
ただでさえ世の中でうまくできないことは苦しいところを、
自分が自分を責めるから余計に苦しい。
どうしていいか、どうやって生きていったらいいかわからない。
生き方を変えるっていったって、一人じゃ何をどうしたらいいかなんてわからない。
自分を理解してくれる人がそばにいてくれたのなら、こんな事件は起きなかっただろうな。
だから、私が私を理解する。
ひとりでは難しい時は、良い悪いをこえて人を大切な命としてみてくれる人に力を借りる。
それがカウンセリングでもコーチングでも何でも良い。
とにかく受けとめてくれる人のもとに行ってみて。
そして自分をひとつずつ知っていく。
ひとつずつ自分を理解し認めていく。
自分の仕組みを知って、自分の感情を感じて、自分を大切にして生きていく。
自分を大切にできるようになったら、自分がたくさん満たされることを選べるようになってくるから。
そしたら自分が満たされて溢れたぶんを誰かにそっと注いであげてほしい。
たった一人でいい。
理解し味方になってくれる人がみんなそれぞれにそばにいることを切に願う。
自分が自分の味方になることができれば、一番いいのだけど、
すぐにそこに行けない時は誰かのちからを借りて欲しい。
安心安全の世界は必ず築ける。
ひとりひとりの内側の変容が、安心安全の世界を創り出せる。