師からの答えは
「まりちゃん、まりちゃんの友人が亡くなったことと関係ないよ。
友人のことを使って自分が生きてる意味を問いてるだけ。
そんなふうに彼女の命を使ってはいけないよ。
彼女はそんなことを伝えたかったわけじゃないよ。
違いわかる?」
ゆっくりと温かく、
優しくも強くはっきりと伝えてくれる言葉に
私ははっとしました。
あぁ、私は自分が生きてる意味をただ感じたいだけなんだ。
自分が自分として生きてることを感じたい。
ただただそれだけなのだと。
「まりちゃんの命は自分の命を生きたい。
そう言ってるよ。」
お腹の底に響くような、
お腹の底に語りかけるような師匠の言葉を受けて、
私はわんわん泣きながら頭をコクンコクンと縦にふり、
「わかった」
そう伝えました。
私は私であることに喜びを感じたい。
生きてることに喜びを感じて過ごしたい。
私らしく生きたい。
自分の命を生きたい。
私の根底にある想いはただこれだけでした。
それを人の命を使って、自分を責めるという方法で問いかけていた…。
自分の最低で最悪な姿を受け止めてもらえた時、
そして自分の本当の想いに気づけたあの時から、
今まで自分自身を責めてきたものは
いつの間にかすーっと消えています。
消えたというより形を変えたものになった。
温かさ、安堵感が私の中に芽生え始めています。
最低最悪な、自分の命を責めてしまう自分を受け止めてもらえたというのは、
何かができるとか、
何かがあるとかの条件ではなく、
「命」
「私としての命」
ただそれだけで良いのだと、
そこをただ受け止めてもらえたような、
私の根底の命に水を与えてもらったような、
なんかそんな感じなのです。
こうして文章にすると
何だかよくわからなくなっているんだけれども、
私の中では
ものすごく大きな大切なものになっています。
あの日、
師とのやり取りはその後も続きました。
強烈に襲ってくる孤独感へと入っていくことになります。
この孤独感の中から私が決めた信念が見えてきました。
また別の機会に書いていきたいと思います。
私は今、
自分の中に安心感というもの、
温かさというものを感じて過ごす時間が増えている気がします。
常に何かを感じているというわけではなくて、
重心が下に下がり、どしっとしてきている、
そんな気がしています。
私が喉から手が出るほど欲しかった、この温かさと安心感。
きっとこれも親から欲しかったのだと感じます。
それでも今、私は
自分自身の中に芽生えてきている
安堵感を感じています。
温かさ、安心感を感じる時間が増えていく中で、
自分自身への想いや、
両親に対する想いも変化しつつあります。
まだそれは変化の途中。
でも、それはゴールなのかもしれない。
一歩一歩進んでゆこうと思います。