こんばんは、昨日は名古屋へライブ
そして今日は長野県の山奥へ
行って参りました、ももいです。
先日、フェイスブックで
4年前のももいが上がって来ました。
その日は
初グループカウンセリングデビューの日
4年間、わたし頑張った
なーんて思いで
投稿したのですが・・・・
したらば・・・ビフォー画像が
当時を知ってる方も
知らいない方も
意外に衝撃画像だった
確実に当時とは、
4歳は歳をとっているわたしですが
プロにお願いすれば
ほぼ、ほぼ今は
ニックネームの「ももい」の象徴のような
トレードマークの「ボブ」のヘアスタイルも
すっかり影を潜め
最近では「何で、ももいなのですか??」と
特に疑問を持たれる方も
多くなりました。
もう、「ももい」と名前に付けなくても・・と
ふと、思う時もあるけれど
今あるのは、このビフォーがあるお陰。
ビフォーがなければ
アフターはあり得ず
この落差が、ネタであり
わたしの生きざまなのですよね。
そう思うと
わたしはやっぱり、「ももい」です。
逃げたかった。
捨てたかった。
この家の跡取り娘
この親のキーパーソンと
言われたくなかった。
何より・・・悲しかった。
常に身綺麗にして
白髪ひとつなく
上質な衣類を選び
身につけていた。
イミテーションを嫌い
アクセサリーを付ける事を忘れず、
服も靴もオーダーだった母親。
浪費家と言われ続けたけれど
そんな母親が、どこかで自慢でもあり
憧れでもあった。
醜く、落ちぶれた姿を見たくなかった。
わたしが
自分の魅力を
認めてなかったのは
「母親のようになりたくなかった」
ただ、この1点にあったと思う。
着るもの
身につけるものに
お金をかけ
上質なモノを選んでいた母親。
けれどその顔は
全然楽しそうじゃなかった。
笑っていなかった。
舐められたくなくて
必死に自分を護っていた。
そう感じてた。
そう信じていた。
だから、そうならないように
おしゃれや着飾ることは
お得なモノ
質素なモノ
如何にお金をかけないかが
わたしの課題になっていました。
けれど、当時のわたしも
わたしが母親に感じたと同じで
その顔は
全然楽しそうじゃなかった。
笑っていなかった。
舐められたくなくて
必死に自分を護っていた。
つまり勝手にわたしが
自分の姿を母親に
重ねていただけでした。
そう、今は思えるのです。
あっ、これは・・・約5年前
母親が亡くなった2年前。
母親の遺品を整理する際に
実は、母親はセンスが良くて
上質のモノの見る眼があって
おしゃれを楽しんでいたのだと
こころの底から感じました。
女性として生きていたんだなー。
おしゃれを楽しんでいたんだなー。
あんなに嫌って、避けていた母親が
憧れの女性になった瞬間でした。
わたしがおしゃれを受け入れられたのは
女性としての母親を受け入れられたから。
一生ものの、この謎が解けたのだから・・
もう、さらに高みを目指して
思いっきり女性を楽しむしかないのだ
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・3月25日(月)ZOOMオンラインにて
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