WEB上のニュース記事やSNSを介して、【コメントやクチコミ】を見る機会が非常に多い。出来事や意見に対して、不特定多数の人が賛成したり反対したりと、活発にコメントが飛び交っている。物事に関心を持つことは良いことだし、(何に騒いでるの?)と、入り口は野次馬根性でも【考えるきっかけ】になるのであれば、悪いことではないと思う。

SNSは総じて匿名性が高く、【本名を晒されないこと】に乗じて、強い言葉を【気楽に】発信する人が多い。匿名性がそうさせていると言わざるを得ない。例えば、陰口や悪口には必ず出どころがあり、称賛は直接伝えられることが多い。ある程度、誰が言ったかを特定できるのだ。ところが、クチコミやコメントは【匿名性に守られている】ことが前提となっている。批判やクレームが多いのは、面と向かっては言えない心の内を発信しやすいからだろう。誰もが持っている二面性が見て取れる。

クチコミやコメントで相手を糾弾する側の心理は、【共感してもらいたい気持ち】と【自分は正しい】という思いで成り立っているように感じる。匿名性の中に自分を置いて、それでも人とのつながりを求めている。自分であることは伏せていたいし、顔を突き合わせたコミュニケーションは気が重い。でも、人の中で自分のことを確認したいのだ。自身が不特定多数のうちの一人であり、不特定多数の人を相手にしていることは十分認識しているはずなのに、そこには大義として【なりすまし】を絶対に許さない心理がある。

―自分のことが大切な人。個人を特定されることを厭う。一方で、自分であることを侵されたくない。交錯する思いが、ネット社会を複雑にしている。

こんな世の中だから、自分のことが大切なら、人のことも大切にしたいと思う。

もちろん、自分への戒めも含めて。