どうも、こんばんは。

Earth Ring Project のメンバーのイッチーです。



一昨日はみんなで泊まり込みで、

Earth Ring Project のこれからについて考えていたんですけど、

泊まり込みということで結構遊びの方向に走ってしまいました。

まぁ、しょうがないかw

ただ、プロジェクトと関係ないことで徹夜で暑いことを

メンバーで語っていた。



まだ20そこいらのうちらが言うのもなんだけど、

最近の若者で、特に頭が良いのに物事を考えない学生が

多いんじゃないかってことを話してた。

例えば、早慶に通ってて、政治とか経済とかの難しいことを

勉強してる学生がいるのに、勉強したことを自分の生活とか生かしていないということ。

なんで、彼らは僕みたいな学生では理解できないような難しいことを勉強してるのに、

それを使って『世の中を良くしてやろうぜ!』などと考えて行動しないんだろうか。



そんな会話が出てきたときに、メンバーのみかをが

「それは合理的無知が働いているからだよ」

と言っていた。

彼女曰く、合理的無知とは、

合理的なことをしようとすると、

自分の目の前にある生活に役立つことはするけど、

そうでないことは積極的に行わないことだという。

つまり、上記のような学生の場合だと、

勉強は単位を取って大学を卒業するという合理的な選択になり、

普段はアルバイトをして自分の生活を潤すという合理的な行動をする

といったような感じだという。





確かに、自分一人の状況になるとこうなりますわな。

難しくて、自分の生きている目の前の現実とかけ離れた

別の場所でやっているような政治のこととか経済のこととか、

そんなことにあえて手をだそうだなんて思わないよね。

少なくとも俺も、環境問題は好きだからやってるけど、

政治とか経済はさらさらダメ。

そう考えると理解できるよね。



ただ、だからといって、みんながみんな、合理的な選択をしてたら、

やっぱり社会全体としては利益がなくなるわけで…。

だからこそなのか、この話し合いで

専門家でなくていいから、どんな問題に対しても考えてみること

という結論が出た。

難しいことは専門家が考えればいい。

ただ、全部を全部任せていては、

大事なことが自分の知らないところで決まってしまう。

だからこそ、政治とか経済とか、はたまた他の社会的な問題とか、

必要最低限なことについて僕たちは考えて、

自分たちなりの正しいと思う主義主張を持っていないといけないんだと。

そういうことが大事なんじゃないかという結論になりました。



そして、その根本を作るものこそが、

やっぱり教育なんだなという話になった。

教育の在り方一つで他の分野への関心度が変わる。

ならば、僕たちは僕たち自身も勉強していくと同時に、

未来に必要な教育というのを考えていかないといけないんだなと思う。



なんか、初めて泊まり込みはプロジェクト的には失敗だったかもしれないけど、

個人的には面白かったから良かったですw