授業を通して、これblogに書きたい!!というネタをインプットするものの、アウトプット出来ず…。
少しずつアップして行きたいと思います。
10月の初めのこと。授業でスリランカが出てきました!
養成講座の授業の中で、日本語教授の歴史を近代史に照らし合わせながら変遷を知る授業がありました。
第二次世界大戦ぐらいからはじまりその中で1951年サンフランシスコ平和条約の話がありました。
先生のはなしより抜粋。
日本は当時4分割になりそうだったが、セイロン(現スリランカ)の代表として参加したジャヤワルダナ蔵相(後の大統領)がの演説がそれをさせなかった。みなさんご存知でしたか?
私(アラフォーの先生)より少し年上の方は歴史の教科書に載ってたようですが、今は省かれてるんですよね。
スリランカの学生にこの授業をしたときに、フランシスコ条約の話をするならこの話を入れて欲しいと言われ、盛り込んでます。」と先生が言いました。
私がスリランカ行くことを決めた時に、スリランカのことを調べ、この事を知りました。
分割が実行されなかった理由。
当時のジャヤワルダナ蔵相が演説で「憎悪は憎悪によって止むことなく、愛によって止む」
ブッダの教えを引用しセイロンは、日本に対する賠償請求は放棄する旨の演説を行い、各国がそれに賛同し今に至ります。
ジャヤワルダナ蔵相は、その後スリランカで大統領になりました。
1985年に首都をコロンボから遷都した際に彼の名をもらい「スリ ジャヤワルダナ プラ コッテ」と言う地名になりました。
大統領を退いたあとも日本と交流を続け、1996年にお亡くなりになった際には、右目はスリランカ人に、左目は日本人にと角膜を提供されたようです。
スリランカでも偉大な大統領と言われており、ジャヤワルダナセンターと彼の功績が飾ってある建物もあります。(行きたかったけど行けませんでした…)
ゆとり教育が始まったりその他、いろんなおとなのじじょーがあったのだと思いますが、実は紅茶や鉛筆(!)だけじゃないスリランカと日本の関係の紹介でした。
私より少しお兄様、お姉様は小学校の国語の教科書に「いっぽんの鉛筆のむこうに」が掲載されていたようです。
谷川俊太郎作で、一本の鉛筆がどんな国や人の手を渡り出来るのかがかかれた話です。
その中で鉛筆の芯になる黒鉛はスリランカから来ることを習ったようで「あっ!鉛筆の国でしょ」なんて言われました。(結構言われました。皆様教科書の話覚えているんですね!すごい!)
今までは全く知らなかったことも、一度行くと身近になります。
ニュースやテレビ番組等でスリランカが出ると反応します。