近頃、編み物熱が燃え上がっております。





作っても作っても、
また次のを作りたくなる。



挙句、
何個も並行して作ったり。



私の作業机、
大渋滞中てへぺろ







自分のものとか、
使うか分からない小物とか、
ただ作ってみたいものとか、
作るのやめてたんだよね。




なぜなら、
お金にならないから。



使わないなら、
置いておく場所もないしね。
邪魔になるだけだから。



お金にならない上に、
お金かかるから。





私の好きなことは、
無心になって、
編みたいものをひたすら編むことなのに。




せっかく好きなことで収入が得られるようになっても、
こういうのはOKだけど、
こういうのはダメ、
みたいなやり方してたら、
やりたくなくなっちゃうんだよね。




春から夏にかけて、
ずっとやってた編み物を
お休みしてた。




生活の一部のようになってたのに、
全くやりたい気持ちにならなくなってしまった。




ねぇねぇ。
好きなことだけして
生きていきたいんでしょ?

いやなことやめて、
好きなことやることにしたんでしょ?

だったら全部を
OKにしてあげなよ。

無駄なことも
好きならやったらいいじゃない。




いい気分でいられるのなら、
それ以上に大事なことなんて、
ひとつもないんだから。








お気に入りの毛糸を買って、
作りたいものを作ろうよ。








私には、
誰かに自慢出来るような才能や
特技はないと思ってて。




絵が描けるわけでもないし、
歌も上手に歌えない。

頭がずば抜けていいわけじゃないし、
要領も悪い。




そんな私が、
唯一自信があるのは、
想像力。




物語を読めば、
その情景が頭の中を駆け巡って、
匂いや手触りまで現実のように感じられる。

登場人物の気持ちに同調して、
嬉しくなったり悲しくなったり、
その場の雰囲気や勢いを
肌で感じたような感覚になる。




でも、
それって私の中で全てが完結してしまって、
誰かと共有することも出来ないし、
絵や映像で表現する技術もない。



だからずっと、
意味無い才能だなぁと思ってた。




でも、
想像力って、
私にとっては
最高の能力だってことに気づいた。




物語って、
映像で見せられた方が
わかりやすいし
入り込みやすい。




でもそれって、
ほとんどが決められた状態で提供されるから、
誰かの描いたものに乗っかる形での体験で。

それが自分の中にある何かに触れないと、
感動や共感が
起きにくいと思うんだよね。

(あー、上手く説明出来ないえーん)



それが本の場合。

与えられる情報は文字だけだから、
そこから全てを自分で決められる。

声や話し方、
明るさや場の雰囲気、
人物の動きや細かな表情、
全部自分の想像で描ける。




だから私は、
本を読むのが好きなんだ。




自分の想像力で、
自分の好きな世界へ入り込めるから。




そしてそれは、
なりたい未来を思い描くのに、
大いに役立つ。




こうなったらいいのにな音符が、
今、自分の身に起きているかのように
想像出来る。




まるで今、
その状態にあるかのように、
身体と心で感じられる。




こうなったらいいのにな音符って、
それが実現した時に感じる、
その感情を感じたくて望むものだから、
それを詳細に感じられたなら、
結局はそれでもうOKなんだよね。




で、実現リモコンとして
そこにチャンネル合わせて、
後は毎日をご機嫌に過ごすだけ。



********




意味の無い才能だと思ってたけど、
私にとっては
毎日楽しく生きるために
めっちゃ使える才能だったことに、
さっき気づいた真顔




私、
自分が幸せに生きるための力、
ちゃんと持ってたんだ。



無駄なこととか、
意味の無いことって、
ホントにないんだね。




起こる全ては、
きっといいこと。




必要なものは、
全部自分の中にちゃんとあるんだ。








2016年1月、
心屋の初級セミナーの最後に、
未来の自分を詳細に書き出すワークをやった。


その時描いた私の未来は、




暖かい家に住み、
優しい旦那と幼稚園に通う子どもがいて、
2人を送り出した後、
私は家で手芸のお仕事や家事をこなし、
軽くランチを食べたら
のんびりお散歩にでかけ、
午後は友達が訪ねてきて、
のんびりおしゃべり、
夕方に旦那と子どもが帰ってきて、
今日あったことを聞きながら
夕食を食べる。

そんな、
のんびり穏やかな1日。




あれからもうすぐ4年がたつけど、
今の私は、
思い描いた未来に近い生活を送っている。



2016年のあの時は、
自分の理想の未来が
こんなにもありふれた幸せなんだ
ってことに驚いた。

同時に、
ありふれた幸せを思い描いたら、
涙が出るほど温かな気持ちになったことにも
驚いた。




そして今、
思い描いたような日常の中で、
ふとした瞬間に
胸が温かくなって、
涙がにじむ。




あの時は、
こんな生活が私に訪れるなんて、
信じられなかった。




理想を叶えるために
一生懸命努力したりはしなかった。

どうやったら理想に近づくのか、
方法を調べたり、
考えたりもしなかった。




こうなったらいいのにな音符
と思っただけで、
ほとんど叶ってしまった。




望みを放つだけ。
そうなると決めるだけ。

あとはいい気分でいればいい。




本当に、
ただそれだけでよかったんだ。





4年前、
今の生活を夢見ていたのを、
今日ふと思い出した。




自分ビジネスに取り組んで、
なかなか前に進まなくて
モヤモヤした気分で過ごしていたけど、
理想の未来にたどり着いてたんだ。

それをすっかり忘れてた。




だから今は、
この日常の暖かさを感じて、
じんわりと癒されて過ごそう。




今この瞬間の幸せを、
ゆっくり味わおう。




そして更に出てくる望みを放って、
また日常を楽しもう。




そうして今を生きていたら、
気づけばまた、
こうなったらいいのにな音符
の未来に立っているんじゃないかな。











こんなに叶っているのに、
半信半疑から抜け出せない私への、
メッセージラブレター






最近、パールちゃんの瞑想をやってます。
ヨガの呼吸法と合わせた瞑想。




いろんな呼吸方をやった後に、
自然の呼吸を観察して瞑想する。




静かに自分の内側を観察。




頭の内側や、
胸のあたりの感覚をじーっと見るように
観察する。




最初はモヤモヤしていたものが、
回数を重ねるごとにスッキリしてきたんだけど、
胸のあたりにある何かが
ずっとなくならなくて。




それは、
映画『ファンタスティックビースト 』に出てくる
オブスキュラスみたいな、
黒くて形のない何か。




モヤモヤ漂ったり、
何かを傷つけるような
トゲトゲした形になったり。




私が長年抑えてきた、
私の中の黒い気持ち。




ホントはずっとあったのに、
あっちゃいけないと
ないことにしてきた気持ちの塊。



イメージの中で、
暖かい空気で包んでも、
光の玉で覆っても、
一向になくならない。



瞑想をする度、
自分の内側を観察する度、
確実にそこにある黒い影。



何でなくならないんだ。



って何日か考えたあと、
ある時すとんと腑に落ちた。




あぁ、
この黒い何かは、
私なんだ。




あってはいけない何かじゃなくて、
これも含めて私なんだ。




光があれば影が出来るように、
キラキラした気持ちがあるならば、
この黒い気持ちもセットである。



だから、
なくなるように頑張るんじゃなくて、
それ自体がそこにあっていいんだと、
認めればいい。




全部あるって、
そういうことなんだ。




それが分かったら、
黒い色は薄くなって、
トゲトゲした形じゃなくなった。




おかえりなさい、
私の一部。



黒かろうが、
トゲトゲしてようが、
大事な私の気持ちのひとつ。




ないことにして目を逸らしても、
消えてなくなったりしないし、
都合よく
キレイなものだけ残ったりしない。




キラキラもドロドロも、
どっちも受け入れる覚悟がなければ、
新しい世界にはたどり着けない。



それが、
肚を決めるってことなんだ。










晴れの日もあれば、
雨の日もある。



どっちもなければ、
植物も育たない。



どっちもあるのが、
自然のかたち。


小さな頃、
両親にいろんなところへ連れて行ってもらった。




動物園、
水族館、
近所の公園や、
少し遠い大きな公園。





旅行、
サーカス、
ディズニーオンアイス、
ミュージカル。




本当にたくさん、
いろんなものをみせてもらった。




でも、
今の私はほとんど覚えてない。




昔の話をする度に、
何も覚えてない私に母が

「小さい時にいろいろ見せても、
どうせ覚えてないんだから
無駄だったわ~」

って、
ことある事に言ってきて。




その言葉に悲しくなった時もあったけど、
今はちょっと違ってて。




当時の記憶はないけれど、

見たり、
嗅いだり、
触ったりした、

その感覚は
私の中に確実に残っていて、
今の私の一部になってると思ってる。




何でもすぐに忘れちゃう私だけど、
たとえ覚えていなくても、
その時感じた何かは、
私をつくる
ひとかけら。




だから、
忘れちゃっても、
覚えてなくても、
悲しまないでいいんだよ。



何も感じなかったわけでも、
楽しくなかったわけでも、
つまらなかったわけでもなくて、




ただ、
忘れんぼうなだけ。




ただ、
それだけなんだ。