新聞社の憂鬱、いつ命運が尽きるのか | ブロッコリーな日々

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アイドルマート下花店店長の落書き

独自のスクープが取れない新聞社に未来があるのだろうか。

日本の新聞社には未来がないと思う。そもそも四大新聞社は情報メディア多角化のなかで、その影を年々薄くしている。

しかも、朝日、読売、毎日、産経には独自のスクープがない。ほとんどの記事は、共同通信社と時事通信社の配信である。

 

現実に米国の新聞社は次々と潰れているのだ。最近ではおよそ50社が休刊に追いやられている。

ニューヨークタイムズでは、電子化に成功してネット配信に活路を見出している。

数年前には新聞紙を通勤車内で読んでいる人を見かけたが、最近では見るのはスマホばかりである。

 

新聞社が消えるよりも前にペーパーの新聞は消えるだろう。昭和の古き良き時代には「新聞少年」という家計を助ける早起きの少年がいたものだが、すでに死語となっている。

 

通信社の配信記事ならスマホだけで事足りる。なにも大手新聞社の新聞紙に頼る必要がない。

近い将来には銀行と並んで新聞社の廃業が相次いで起きるに違いない。

 

生き延びるのは「日本経済新聞社」だけだろうか。

日経新聞は、日本経団連の御用新聞である。名だたる企業と密着しているので、独自のネタをリークしてもらえる。

そういう意味では、日経新聞は本来の意味での新聞というメディアではないと言えるのだ。

 

速報性という観点でも新聞は、ウェブ・サイト、ラジオ・テレビにはかなわない。大衆が好むのは文字よりも映像である。

新聞にしかできない役割は20世紀とともに終わってしまったのである。新聞のビジネスモデルは崩壊した。