野茂英雄選手はアマチュア時代に、古田敦也選手(元ヤクルト)らとともにソウルオリンピックへ出場、日本代表の主力投手として銀メダルに貢献した。
そして1989年のドラフト会議では一番の目玉として注目を浴びており、何球団が野茂選手に入札を行うのかに興味は集まっていた。ドラフトに初めてテレビモニターが採用された年でもある。
このドラフトで野茂選手へは8球団(近鉄、オリックス、日本ハム、ロッテ、大洋、阪神、ヤクルト、ダイエー)が入札。2016年ドラフト終了時点でも破られていない史上最多の競合数となった。(小池秀郎選手が1990年にタイ記録を達成)
抽選の結果、近鉄が交渉権を獲得。このとき、野茂選手は「フォームをいじらないこと」を入団の条件として球団に伝えており、仰木彬監督はこれを快諾し野茂選手は入団に至っている。野茂選手以外にもこの年のドラフトは多くの名選手が誕生していた。佐々木主浩選手(大洋)、小宮山悟選手(ロッテ)、新庄剛選手(阪神)など後のメジャーリーガーも同期ドラフトだ。
今でこそ、日本からMLBに移籍する選手は珍しくはなくなったが、パイオニアとしてその道を切り拓いたのは、間違いなく野茂英雄その選手であった。
なにしろ、1995年に渡米した当時は、マスメディアはこぞって否定的な見方をしていた。渡米1年目のドジャースでの年棒は、近鉄時代の10分の1であった。成績次第では彼はいつ解雇されてもおかしくはなかった。
ところが、この年、MLBでは野茂のトルネード旋風が吹き荒れ、新人王と奪三振王を獲得する。
マスメディアの論調は、一転して変わり、後に続く日本人選手は、引きも切らなくなったのである。
豪快なトルネード投法と伝家の宝刀フォーク・ボールを武器に奪三振の山を築く投球で、全米の野球ファンを熱狂させた野茂英雄投手の大活躍で、“日本のプロ野球を格下”に見ていた全米の野球ファンやMLB関係者は、徐々にだが、その認識を改めて行く事になる。
野茂投手が衝撃のデビューを果たした翌年、日本プロ野球を経験せずにマック鈴木投手がマリナーズでメジャーデビューを飾り、1997年には日本プロ野球界から長谷川滋利投手、伊良部秀輝投手、柏田貴史投手が相次いでメジャーデビューを果たした。 その後も吉井理人投手、木田優夫投手、大家友和投手、そして、2000年には日本球界最高の守護神、佐々木主浩投手がメジャーデビュー。
2001年にイチロー選手と新庄剛志選手がデビューするまでは、日本人メジャーリーガーは、総て投手だった。その後も続々とメジャーデビューを果して来た日本人投手達。 いつしか「日本のプロ野球を格下」に見ていた認識は消え去り、「日本プロ野球=優秀な投手王国」と言う認識が定番となっていった。
2022年シーズン開幕までに60人以上の日本人メジャーリーガーが誕生したが、40人以上が投手となっている。現在では、数多くのメジャー球団が日本球界をメインとした極東担当スカウトを置いている。