あのケネディ大統領が憧れた「上杉鷹山」の軌跡 | ブロッコリーな日々

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アイドルマート下花店店長の落書き

「上杉鷹山」といえば、第9代米沢藩主として、逼迫した財政を見事に建て直した名君として有名だ。

ちなみに、この時の米沢藩の借金は、現在の通貨に換算して約150億円である。

上杉鷹山が17歳で藩主となった江戸時代の中期、米沢藩は破綻寸前の絶望的な状況であった。
鷹山は自ら大幅な倹約を実行し、率先して鋤をふるうのだ。
 

武士だけでなく、農民や町人からも広く意見を求めたという。私財を費やし桑の苗木を配布した。

さらに、養蚕の技術指導も行ったのである。72歳で亡くなる頃、藩の財政はようやく黒字に転換する。
無理解からの挫折の後、再び改革に着手してから、実に三十数年。信念の勝利であった。

鷹山が行った改革とは何だったのか、それは「心の改革」である。絶望の淵に沈む人々に同苦し、手を差し伸べ、希望をもたせることで「なせば成る」を身をもって教えている。そして自分と「同じ心で行動する人」を、一人また一人と
増やしていく。それは、決して平たんな道ではなかった。

鷹山公が家督を譲るに当り、『藩主の心得として伝授した「伝国の辞」三か条』を紹介しておく。

1.国家は、先祖より子孫へ伝え候国家にして、我私すべきものにはこれなく候
2.人民は国家に属したる人民にして、我私すべきものにはこれなく候
3.国家人民の為に立たる君にて、君の為に立たる国家人民にはこれなく候

今まさに、日本のリーダーに必要なのはこのことと思う。

1961年、第35代米国大統領に就任したジョン・F・ケネディは、日本人記者団からこんな質問を受けた。

すなわち、「あなたが、日本で最も尊敬する政治家はだれですか?」
ケネディは間髪を入れず、答えた。「上杉鷹山(ようざん)です」

 

菅首相、もう少し上手な答弁をしなさい。

決して、無感動にならず、原稿棒読みをせず、読み飛ばしもしない。

いや、今日から中学校へ戻って国語を学び直しなさい。