「安土城」が完成してから、多くの民衆が見物のために集まってきた。
天正5年6月、信長は城下町安土を新しい商業、交通の拠点とするため、「13ヵ条の掟書」を発布した。
信長の経済政策である楽市楽座令の典型であり、非常に有名なものである。
本文は、文字どおり3ヵ条から成っており、主要な規定を掲出すると、次のようになる。
第1条 安土の山下町中を楽市と定め、座の特権を廃止し、山下町住人に対する諸課役、諸公事の賦課を免除すること。
第2条 中山道往還の商人は、安土に寄宿することる。
第13条 近江国内の博労(ばくろう。牛馬の仲買人)の馬売買を山下町に限定するほか、城下町繁栄のための住人の保護や町内の治安、統制に関する条項。
信長の楽市楽座令は、ほかにも美濃加納(岐阜市)、近江金森(滋賀県守山市)の例がある。
しかし、いずれも条文は、3ヵ条と極めて少ない。「安土山下町中掟書」は、もっとも豊富な内容であるといえる。
また、16世紀末から17世紀初頭における、城下町の建設や取締りについての都市法の先駆的なものであると指摘されている。
この「13ヵ条の掟書」は、豊臣秀次が天正14年(1586)6月に出した掟書に受け継がれており、内容はほぼ踏襲されている。城下は安土から近江八幡に移されたのであるが、同時に信長の政策基調も継承されたことになる。
安土城は城としての評価も高いが、城下町も整備されていた。
信長は、この「安土城」の名を天下に広めるために奇策に打って出る。
それは、一般庶民に城の中を公開するといったアトラクションとしての機能を持たせたことであった。
最近の研究では、これは「楽市楽座」の一つであるとされている。また、見物料は、現代の通貨に換算するとおよそ5,000円になるという。
恐るべし、織田信長。