夢は絶対に諦めない、呂比須ワグナーの奇跡 | ブロッコリーな日々

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アイドルマート下花店店長の落書き

1997年10月11日、サッカー日本代表は、ワールドカップの予選で、ウズベキスタンに残り数分で同点に追いついた。

その奇跡の試合を演じたのが、帰化したばかりの呂比須ワグナー選手であった。

呂比須 ワグナー、Wagner Lopes, 1969年1月29日 - )は、ブラジル出身の元プロサッカー選手。

現役時代のポジションはフォワード。ブラジル名はワギネル・アウグスト・ロペス (Wagner Augusto Lopes)である。

1997年に日本へ帰化し、日本とブラジルの二重国籍者となった。元日本代表である。

 

サンパウロ州フランカで8人兄弟の末っ子として生まれる。11歳の頃から学業の傍ら兄が経営する靴工場で働き、週末には地元のサッカークラブ、インテルナシオナルFCで練習を続けた。

 

1984年、15歳で親元を離れ(フランカとサンパウロは同州内であるが約400km離れている)サンパウロFCの下部組織に加入。主にMFとして起用され同年のU-15サンパウロ州選手権で決勝点を挙げ優勝に貢献した。1986年、17歳でサンパウロFCとプロ契約を結ぶ も、当時のサンパウロにはブラジル代表クラスの選手が揃っており、呂比須に出番がまわってくるのは彼らが代表の試合で不在のときくらいだった。

 

1987年、横浜F・マリノスへの移籍が決まっていた元ブラジル代表のオスカーに誘われ、ともに日産に加入する。

その後、加茂周監督の指示によりFWに転向した。日産では2年目は左足首靭帯、3年目は肋骨と頭部を痛め満足にプレーできず、3年間で契約満了となった。

 

少年時代から、彼は母親から「決して諦めてはダメ!諦めずに続けていれば、幸運は向こうからやってくるものよ」と、毎日、聞かされていたという。出番がなくても決して腐ることはなかったそうだ。

 

1992年を皮切りに1995年、1996年と続けてJリーグの得点王に輝いたのだ。そして1997年にワールドカップ日本代表に選出される。やがて、長男誕生に合わせて日本帰化を選ぶことになる。

 

ワールドカップの予備リーグ、10月11日のウズベキスタン戦に敗戦濃厚で追いつき、見事に予選を突破する。

呂比須 ワグナーの最愛の母親は、その夜に亡くなった。

 

Jリーグからは、現在では多くの海外雄飛組が輩出している。