報道の在り方「相模原福祉施設襲撃事件」の憂鬱 | ブロッコリーな日々

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アイドルマート下花店店長の落書き

「相模原福祉施設襲撃事件」

理不尽極まりない障害者殺傷事件を覚えていますか。

私が、この事件を問題にしたいのは、犯罪報道姿勢にある。

 

いったいどのように新聞各社は伝えたのか。

「19人死亡、26人重軽傷」と、ほとんどが報じていたのだ。

 

犠牲になった障害者たちには、はたして本名はなかったのか。なぜ名前を報じなかったのだ。

犠牲者には、それぞれ人生があり、困難な状況を生きてきた生活があった。それは一切報じられていない。

 

毎日新聞は、7月27日の朝刊で「神奈川県警、被害者指名を公表せず」といった記事を載せた。

あくまで犠牲者を公表しないのは、県警のせいだと言わんばかりである。

読者の皆さんは、何か違和感を覚えないだろうか。

 

加害者が少年にすぎなかった場合には、一般に氏名までは隠される。本件は障害被害者の名前が意図的に隠されている。彼らが健常者なら公表したのであろうか。おそらく公表していたであろう。報道関係者は、いったい何を血迷ったのだろうか。

 

この新聞記事は、世間の雰囲気を忖度していると思われるのだ。

何年も前のことだが、私が都内で建設機材の営業に携わっていたころ、ある養育園に打ち合わせに出向いたことがある。その養育園には障害を持つ子供たちが何人も養育されていた。その現場で耳にしたことだが、「あの子の親たちは、死ぬまで会いに来ないのだ」と。

 

信じられるだろうか。親の面会はその子供が死んだときとは。

おそらく、神奈川県警には、被害者名を公表しないで欲しい、という要望が届いたのだろう。

 

警察から要望が出されていたので、氏名の公表をやめる、では信念も何もない。

まして県警のせいにするようでは、どうしようもない。だからマスゴミと陰口を言われるのだ。

 

障害者を世間から隠すのではなく、彼らと共存できる豊かな社会・差別のない社会をめざすべきだと思う。