スポーツに感動を期待するのは何も菅首相だけではない。
ほとんどの日本人がその「感動」に飢餓しているからではあるまいか。
何故、人々はスポーツの感動を欲しがるのだろうか。
端的に結論を述べると、一般に人々は自身の業績に欲求不満を抱いているからである。
読者の皆さんは「十二番目の天使」(著者:オグマンディーノ)を読んだことがあるでしょうか。
その際に涙腺が刺激を受けましたか。涙ぐみながら読み終えましたか。
平気だった人は、たぶん涙腺のネジが一本錆びついているだろうと思う。
五輪を目標に鍛錬を続けるアスリート以外の人たちは、そこまで自分を追い込む経験はない。
そして通常の社会経験ではほとんど得られない至高体験が五輪というスポーツ・イベントなのである。
だからこそ、五輪開催の意義はあるのだと思う。
そろそろ感情面だけの「五輪反対」は止めにしたいところである。
私の大学の後輩、南部靖之氏が創業した派遣会社が「パソナグループ」である。
創業当時は、現在と違って理想に燃えていた。ところが、いつの間にか彼は政府側のイヤな奴になり下がってしまった。
あまつさえ、雇用環境を叩き壊し、非正規雇用を拡大させ、収入格差を拡げ、結果として生涯独身者を拡大させた元凶の売国奴「竹中平蔵」氏をパソナの代表に迎え入れている。
パソナグループは東京五輪の有力なスポンサー企業だ。
だから五輪反対の世論は間違っていると竹中先生は主張している。
私は東京五輪に賛成だが、竹中先生とは賛成の意味が違う。