ナチス・ドイツの迫害からユダヤ人を助けた日本人が居る。
その賞賛すべき日本人たちを再度、顕彰したいと思う。
1938年3月8日、場所は満州とソ連の国境。
ドイツの迫害を逃れた多くのユダヤ人たちが集まってきていた。
第2次世界大戦中、ドイツによる迫害から多くのユダヤ人を救った日本人として有名なのが
リトアニア駐在の外交官、「杉原千畝」だが、彼がユダヤ人にビザを発給した2年前に多くの
ユダヤ人を救った日本人がいた。
その人物を改めて紹介しよう。その名を樋口季一郎という。
樋口はユダヤ人を救っただけでなく、戦後、イスラエル建国功労者として、「黄金の碑
(ゴールデンブック)」にその名を記され、永く顕彰されているのだ。
1938年、満州国との国境沿いにあるシベリア鉄道のソ連領オトポール駅に、ドイツの迫害から逃れてきたユダヤ人が押し寄せ、行き場をなくしていた。
その惨状を見かねたハルビン特務機関長である樋口季一郎は満州国外交部にかけあい、ビザの発給を協力に働きかけた。
さらに、満鉄総裁の松岡洋右を説得し、ハルビンまでユダヤ人を特別列車で無料で輸送することを認めさせたのだ。
樋口によって発給されたビザ、そして開かれた「ヒグチ・ルート」により、一説には2万人ものユダヤ人が救出されたという。
この出来事は「オトポール事件」と呼ばれており、事件後、樋口は1939年に陸軍中将、北部軍司令官、第5方面軍司令官などを歴任し、終戦を迎え、1970年に他界した。
世界各国での先人たちの功績を読むと、日本人であることを誇りに思わせてくれる。
そして、これらこそ、正しく後世に伝えていかなければならないと思う。
戦後、「日教組」が日本社会に広めた自虐史観こそ排斥していかなければならないと思う。