幕末の開国、ペリーに進言した米国人実業家がいた | ブロッコリーな日々

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アイドルマート下花店店長の落書き

アメリカには、我々の想像を超える「大義名分」があった。

それは、領土拡張は「神から与えられた明白な運命」だというものである。

1845年にメキシコからテキサスを奪い取っている。しかもかなり強引なやり方であった。

ペリーによる日本海国の陰の功労者として「アーロン・ヘイト・パルマ―」なる実業界の人物がいた。

 

彼は、アメリカの進出先として鎖国中の日本に目を付けた。ハワイ併合の次は日本開国である。

大掛かりな船団を編成する必要に迫られていた彼は、燃料や食料の補給基地を確保するため、その基地を日本に求めたのである。

 

「アーロン・ヘイト・パルマ―」は、そのための戦略を練り上げる。

1949年に国務長官クレイトンに提出した意見書には、具体的な方策を上申している。

「艦隊を直接江戸に向かわせ、将軍、もしくは幕府の長に面会せよ」さらに日本政府に拒否された場合は、「江戸湾を封鎖し、品川を抑えよ」などと主張している。

 

ペリー提督は、日本に向けて出港する前に、頻繁にこの実業家・パルマ―に会って打ち合わせを行っているという。幕府という、日本の統治形態をよく調べているのだ。

 

1945年8月14日、ニューヨークタイムズは、「我々は、ペリー以来の願望を達成した。これで、中国大陸の巨大なマーケットはアメリカの手に堕ちた」という記事を掲載したという。