官僚たちの夏休み、東大を出てもバカはバカ | ブロッコリーな日々

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アイドルマート下花店店長の落書き

官僚が考えることは、すべて庶民感覚からズレまくる。

この度の新型コロナウイルスに関連する経済対策でも「GoTo トラブル」と揶揄された通りのおバカな結果を招いている。東大出にもおバカは一定数存在するものだ。

 

2013年11月になるが、政府の教育再生実行会議が、大学入試に関わる従来の知識偏重入試について、再度考慮すべきであると提言している。この再生会議では、生徒の選考に対しては面接や論文、高校の推薦書、部活動経歴などの「人間力」から総合的に決めるべきだという。

 

だが、これはこれで問題があると思われる。当時の下村博文文部科学省大臣を含めて、このような選考方法は最悪なものだとは考えていないのである。「人間力」を主観的に判定して合否の決定を行うなど、言語道断ではあるまいか。

 

これでは、英数などの学力ではなく、人格に優劣を付けて合否の判断材料になるという失敗を犯すことになる。

不合格の烙印が学力ではなく、人格にあるとなれば、不合格の学生は、「全人格」を否定されたような錯覚に陥いるだろう。その受験生は、しばらく立ち直れないに違いない。最悪の場合、池袋無差別殺傷事件のような犯罪も起きるだろう。

 

学力テストであれば「ヤマが外れた」「体調が悪かった」などと自分や家族を納得させられるのだ。

人間として、お前はダメ人間だよ、と云われた訳ではない。ところが、教育再生会議は、全人格的にダメ人間かそうでないかを判別するべきだと答申している。

 

日本の大学にある最大の問題は、教師や学生たちの流動性が極めて低いことにあるのだ。

これは、日本社会の特徴でもある。入学してから授業についていけないなら転入学をもっと自由にすればいいことで、何も固定化する必要はない。

 

以前、導入され、問題となった文部省の「ゆとり教育」の弊害は、まるで戦後のGHQがゾンビの如く蘇ったようであった。小学校の運動会に参加した親御さんなら知っているだろう。徒競走で何が行われているのか。

徒競走の場合、生徒に順位を付けないのだ。平等ではないと、PTAから苦情が来るという。

 

この国では、何かが狂っている。そうは思わないだろうか。