昭和の天才作詞家「阿久悠」は、5000曲を超える作詞を発表している。
また、その多くは日本レコード大賞に輝いている。
阿久悠の母校・明治大学に「阿久悠記念館」がある。
その入り口には阿久悠直筆の言葉が刻まれている。
"夢は砕けて夢と知り
愛は破れて愛と知り
時は流れて時と知り
友は別れて友と知り"
阿久悠は、「瀬戸内少年野球団」で直木賞候補だった。
惜しくも逃したが残念でしょうがなかったという。
また、昭和を代表するアイドルを多数手掛けているが、山口百恵には一編の詞も提供していない。
阿久悠と山口百恵の確執ともいえる関係の発端は、「スター誕生」というオーディション番組にある。
歌手志望の山口百恵に対し、審査員を務めていた阿久悠が、「歌は諦めたほうが良い」と批評したという。
その後、阿久悠の評価に反して、山口百恵は時代の寵児となり、伝説の歌姫へと変貌をとげるのだ。
しかし山口百恵は、阿久悠にプライドを傷つけられたことを忘れなかった。阿久悠は「デビュー後、時代の色に見事に染まってみせた山口百恵の才能が恐ろしかったのではないかといわれた。
スタジオで遭遇しても、阿久悠は、彼女の凛とした姿に声もかけられなかったという。
以後、天才作詞家と伝説の歌姫がタッグを組むことはついぞなかった。
阿久悠と山口百恵による楽曲がリリースされていればと、思わずにはいられない。
管理人の私は、ここに阿久悠の恋愛感情を想像している。
山口百恵を菩薩と崇める方には失礼だが、私の憶測に過ぎないので勘弁していただきたい。
天才作詞家は、昭和の歌姫に恋をしていたのではあるまいか。彼女の才能は認めても、歌手になって欲しくはなかったのだろう。
